民意と乖離するメディアの「正しさ」―女川原発再稼働報道を考える
東北電力の女川原子力発電所の原子炉が2024年11月13日に再び起動された。10月末に13年半以上のブランクを経ての再稼働に動いていたが、11月4日に移動式炉心内計装系の検出器4台のうち1台が途中で動かなくなる事象が発生。原子炉そのものにトラブルがあった訳ではないが、慎重を期して原子炉は一旦停止されていた。 【写真】福島県民が「リスク」と感じるもの 女川原発再稼働を迎え、一部の新聞は否定的な論調を展開してきた。たとえば東京新聞は「震災の地 不安置き去り」と題した社説を掲げ、「6年にわたる長期審査を経て、新規制基準に『適合』となりはしたものの、無論『安全のお墨付き』ではなく、住民の不安は残ったままだ」と被災地住民の不安を強調している。 一方、女川原発が立地する宮城県の地元紙河北新報の社説は「避難への不安、解消に努めよ」と題した。そこでは、地震や水害などに伴って原発事故が発生する複合災害での住民避難についても課題を指摘するものの、「東北電は慎重の上にも慎重を期し、安全第一の運転に努めてほしい」と再稼働自体を反対するものではない。 東京電力福島第一原発事故から13年半が過ぎた今、福島県内でも再稼働反対の声は限定的だった。地元2紙の社説を見ると、福島民報は社説で再稼働に触れず、福島民友は10月31日付で「作業員の教育や訓練などにも注力し、安全最優先の運転に努めてほしい」「国は原発事故がもたらす被害の深刻さを十分に理解したうえで原発の利活用推進にかじを切ったのであれば、その責任を全うしなければならない」と記している。
リスクはトレードオフするもの
筆者は福島県内出身・在住で、原発事故後から多くの県民としばしば原発の話題をする機会にも恵まれてきた。事故直後は強硬な反原発の声が圧倒的であったものの、現在は様相が異なる。積極的には口外しないが、むしろ再稼働に賛成する声が着実に増えている。福島民報の報道にも、そうした空気感が見て取れるだろう。 これは決して、しばしば常套句のように訴えられる震災と事故を「忘れたから」ではない。少なからぬ県民は事故以降にそれぞれの日々を生きる中、量の概念やリスクのトレードオフを肌感覚で学んだ。 原発だけがリスクや社会問題ではない。また、それを忌避したことで別のリスクや社会問題も浮き彫りになった。特に原発の代替として再生可能エネルギーを急進的に推進した福島県では、太陽光パネルの乱立と杜撰な管理、今後の処分が深刻な問題として影を落とす。 筆者が最近福島市内で話を聞いた際に嘆かれていたのは女川原発の再稼働では全くなく、福島市のシンボルとも言える吾妻山すぐそばのメガソーラー開発に伴う極度の景観悪化と災害リスクであった。 福島市は昨年23年8月、「ノーモアメガソーラー宣言」を全国に先駆けて発しているが、このメガソーラーはそれ以前に許可されていたものだ。多くの市民から苦情が殺到し、福島市はホームページに異例とも言える専用のページまで開設した。(先達山太陽光発電施設 特設ページ)