まもなく始まる角田裕毅の4年目のF1シーズン……歴代日本人ドライバーのF1での4年目はどうだった?
佐藤琢磨:2006年/スーパーアグリ
佐藤琢磨は2002年にジョーダンからF1デビュー。翌年はBARホンダのリザーブドライバーを務め、スポット参戦した日本GPでは6位入賞を果たした。 フル参戦2年目の2004年はまさに大活躍。アメリカGPの3位表彰台をはじめ、合計34ポイントを獲得してランキング8位となった。2005年にはさらなる活躍が期待されたが、シーズン序盤はマシンのパフォーマンスが悪く、さらにサンマリノGPでの規則違反による失格と出場停止処分で出鼻を挫かれた。 シーズン中盤以降はマシンのパフォーマンスが改善したが、佐藤の歯車は最後まで噛み合わず、ハンガリーGPでの8位入賞の1ポイントだけでシーズン終了。ルーベンス・バリチェロがチーム加入、ジェンソン・バトンがウイリアムズへの移籍を取りやめたことで、佐藤は同チームのシートを失ってしまう。 その後佐藤は、新たに立ち上げられたスーパーアグリに加入。これが佐藤にとってF1で4回目のフル参戦シーズンとなった。 4年前のアロウズのモノコックを流用したマシンでは、さずがに高い戦闘力を期待することはできなかった。それでも最終戦ブラジルGPでは10位。当時の入賞は8位までだったためポイント獲得とはならなかったが、印象的な走りをみせた。
小林可夢偉:2014年/ケータハム
2009年のブラジルGPで、怪我をしたティモ・グロックの代役としてF1デビューを果たした小林可夢偉は、続くアブダビGPでいきなり6位入賞。翌年はトヨタのドライバーとしてフル参戦デビューを果たすものとみられたが、トヨタがこの2009年限りで急遽F1撤退することとなった。 ただ小林はザウバーのシートを手にして、32ポイントを獲得。2年目の2011年も30ポイントを手にし、3年目にはC31と共に上位争いを繰り広げ、日本GPでは3位入賞を果たした。 ただこの年限りでF1のシートを失い、2013年はフェラーリのGTマシンを駆ってWEC(世界耐久選手権)に参戦した。 翌2014年には新興チームのケータハムのシートを掴み、F1に復帰。ただケータハムのマシンCT05はパフォーマンスが低く、とても入賞を争えるような状態ではなかった。しかもチームは資金不足であり、シーズン後半には資金を持ち込んだドライバーにシートを明け渡さなければいけない事態が頻発した。 同年限りで小林はF1を離れ、WECを中心に活躍。ワールドチャンピオン2回、ル・マン24時間レースも1回制覇している。
田中 健一
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