まもなく始まる角田裕毅の4年目のF1シーズン……歴代日本人ドライバーのF1での4年目はどうだった?
鈴木亜久里:1993年/フットワーク
鈴木亜久里は、1988年の日本GPにスポット参戦しF1デビュー。その翌年1989年にはザクスピードのドライバーとしてF1に挑んだが、全戦予備予選落ちを喫した。 フル参戦がかなった1年目は1990年で、所属チームはラルース。同年日本GPでは、日本人初となる3位表彰台を獲得した。翌年もラルースで走った後、1992年からはフットワークに移籍し、2年を過ごした。その2年目となる1993年が鈴木のF1フル参戦4年目ということになろう。 1993年のマシンFA14は、マクラーレン製のアクティブサスペンションを投入すると速さを発揮し、鈴木は予選ではトップ10の常連となった。ただマシントラブルが相次ぎ、結局鈴木は1度も入賞できずにシーズンを終えてしまう。 結局鈴木は、この年がフル参戦最終年。その後はジョーダンやリジェからスポット参戦するに留まった。
片山右京:1995年/ティレル
1992年にヴェンチュリ・ラルースからF1デビューした片山右京は、2年目からティレルに移籍。その3年目となった1994年は、ティレル022で活躍し、3度の入賞を果たした。予選でもトップ5に入る速さを見せ、ドイツGPのスタート直後には2番手を走るシーンもあった。 さらなる活躍が期待された1995年だったが、片山はリタイアの連続。ポルトガルGPでは大クラッシュを喫し、次戦欠場を余儀なくされた。 結局ドイツGPの7位が最高位で、入賞ゼロでシーズンを終えることとなった。 1994年に活躍した片山には、ベネトンからオファーが舞い込んでいた。しかしこれを断ったという逸話がある。もし片山がこれを受諾していれば、ミハエル・シューマッハーのチームメイトとして、ベネトンB195を駆っていた可能性がある。片山の代わりにベネトン入りしたジョニー・ハーバートは同年2勝……片山がベネトンに入っていれば、伝説的な”F1フルシーズン4年目”になっていたかもしれない。
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