柴田理恵 要介護4だった母が頑張って要介護1まで回復!精力的にリハビリに取り組むよう、母の鼻の先にぶら下げた<2本のニンジン>とは
◆圧迫骨折にもめげず、正月は一時帰宅 母は激情型の人間ですが、一方で極めて論理的に物事を考える人でもあります。悪く言えば理屈っぽいのですが、決してひねくれ者ではない。理を説けばちゃんとわかる人です。 このときも口ではそう言いながら、「2週間は我慢。それからまた頑張る」と気持ちを切り替え、前にも増して精力的にリハビリに励んだのです。 その甲斐あって年末年始(2017年12月30日~2018年1月3日)は、杖(つえ)をつきながらでしたが、入院先の病院から実家に一時帰宅が叶い、私と一緒に大好きなお酒を飲み、おいしいおせちも食べることができました。 お酒は母が一番好きな地元富山の日本酒を用意したのですが、「あぁ~、おいしい。お酒が飲めてよかったわぁ」とそれは嬉しそうで、見ているこちらも幸せな気持ちになりました。 母の帰宅に合わせて、あらかじめ家には簡易トイレを付けたりしたのですが、ちょっと手を貸せば一人で家のお手洗いが利用できたので、結局、使いませんでした。 自分でパンツ式のおむつもちゃんと穿(は)けましたし、これならもう少しリハビリを頑張れば、何とか一人暮らしができそうだと、私も希望を膨(ふく)らませることができました。 そして何より母がそれを望んでいました。正月の三が日が明けると母は病院へ戻ったのですが、家を出るとき、しみじみ口にしたのです。 「やっぱり、家で暮らしたい」 私は、何としてもそれを叶えてあげたいと思いました。
◆要介護1まで回復し、ついに帰宅できることに! 2018年の正月明けに病院へ戻った母は、1月の半ば過ぎには頑張れば何とか一人暮らしができるまでに回復し、退院できることになりました。しかし、富山はご存じのように雪の多いところで、この冬は例年にも増して大雪でした。いくら回復したとはいえ、家のまわりの雪かきなどは危なくてとてもさせられません。 母が一人で一軒家の自宅に戻るのは暖かくなってからがいいと考えて、春までは病院の隣にある系列の介護老人保健施設(自宅復帰のためのリハビリや医療ケアを行なう施設。略称「老健」)で過ごしてもらうことにしました。 ショートステイを長期で利用する、いわゆるロングショートステイで、ここで春までリハビリを継続しました。その結果、桜の蕾(つぼみ)がほころぶ頃には、リハビリの先生に見守られながら、一人で外を散歩できるようになりました。こうなると、もう早く家に帰りたくて仕方がない。 あるとき介護施設に母を訪ねると、「ボケた人がいて、同じ話ばかりするからかなわん」と、こぼすこと、こぼすこと(苦笑)。 「そんなこと言ったらよくないよ。誰も好き好んでボケるわけじゃないんだから、しょうがなかろう?」 「それはそうだけど……。でも、もう家に帰りたい。ここにいたくないわ」 そんな愚痴(ぐち)がこぼせるほどに、母は元気になっていました。 母が介護施設から自宅に帰ったのは、同年の4月10日。そのときまでに、母の要介護認定は、半年前に入院した際の要介護4から、要介護1にまで回復していたのでした。 ※本稿は、『遠距離介護の幸せなカタチ――要介護の母を持つ私が専門家とたどり着いたみんなが笑顔になる方法』(祥伝社)の一部を再編集したものです。
柴田理恵
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