柴田理恵 要介護4だった母が頑張って要介護1まで回復!精力的にリハビリに取り組むよう、母の鼻の先にぶら下げた<2本のニンジン>とは
◆これはイケる まずは日本酒です。 「お母さん、元気になったら何がしたい?」 「うーん、そうだねえ」 「お酒は? 飲みたいやろ?」 「そら飲みたい」 「日本酒が好きだもんねえ」 「うん」 「そうしたら、お正月は家に帰って、一緒においしいお酒を飲みたいねえ」 「おいしいおせちも食べたい」 本当に具合が悪かったら、お酒が飲みたいとか、おせちが食べたいなんて言えません。これはイケると思いました。
◆もう1本のニンジン そこでもう1本、切り札のニンジンです。 「なら、お正月のお酒とおせちを目標に、頑張ってリハビリをやらんといけんね。家に帰れなかったら、お茶や謡も教えられんし。子どもたちも待ってるよ、お母さんが帰ってくるのを」 その瞬間、母の顔にかすかですが、「はっ」とした表情が浮かびました。そして一呼吸おくと、自分に言い聞かせるように言ったのです。 「そうだ、子どもたちが待ってる」 「そうだよ。だから先生からリハビリ開始のOKが出たら歩く練習を始めて、お正月には家に帰れるようにしようよ」 「うん、そうだね。頑張る」 母の治りたい気持ちを刺激するニンジン作戦は、見事に成功しました。 介護をする側もされる側も、前向きな気持ちでいられるようにするには、何かしらご褒美(ほうび)が必要だと思うのです。人間誰しも目の前にご褒美があれば、やる気が出るものです。 母の場合は、それがお酒であり、子どもたちに教えるお茶や地域の人たちに教える謡であったわけです。
◆転倒して圧迫骨折 母は「お酒」と「お茶と謡」のために何としてもお正月には家に帰るんだ、と精力的にリハビリに励み、みるみる元気になっていきました。 私は東京から1週間に一度くらい富山の病院を訪ねるようにしていたのですが、どんどん体に強さが戻っていくのがわかり、やっぱり目標がある人間はすごいなあ、と驚いたものです。まさに希望こそは活力の源泉だと再認識しました。 ところが好事魔多(こうじまおお)しとはよく言ったもので、母は12月の初旬、夜中にトイレに行こうとして転倒、腰椎(ようつい)を圧迫骨折してしまいます。歩く練習のつもりで看護師さんも呼ばず、歩行器も使っていませんでした。 かなり痛かったはずですが、母は夜中なので看護師さんを呼ぶのを遠慮したらしく、私が翌朝、病室を見舞ったときに様子がおかしいので、「どうしたの!?」と尋ねてやっと発覚。医師からは「2週間の絶対安静」が告げられました。 お正月を家で迎えたい一心で、一人で歩行練習を頑張りすぎてのことでしたから、何とも残念な事故でした。母は、骨折の痛みのことよりも、「せっかくリハビリを頑張ったのに、お正月までもう1カ月しかない」としょげ返るばかり。 そんな母に、私はこう言って励ましました。 「いまは骨折を治すのを最優先して2週間は安静にしようね。そのあとリハビリすれば、お正月に間に合うから。先生もそう言ってるから大丈夫。心配することないよ」 それを聞いた母は「そんなに寝ていたら、歩けんようになる……」とますます顔を曇らせます。 でもそれは、何としても歩けるようになってお正月には家に戻りたい、という母の強い意志の裏返しだと、私にはわかっていました。
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