手足の切断、外見の変形、脳の損傷… 破壊された身体──ガザを生き延びた子供たちの傷跡
手足の切断、外見の変形、脳の損傷……。彼らは人生が一変する傷を負い、この何万人もの死者を出している戦争を生き延びた。 【画像】手足の切断、外見の変形、脳の損傷… 破壊された身体──ガザを生き延びた子供たちの傷跡 彼らがガザを脱出し、治療のためにたどり着いたカタールで、米紙「ニューヨーク・タイムズ」はその姿を撮影し、話を聞いた。 一命をとりとめ、生き残ることができたけど、このまま生き続けたいのかどうかわからないという子供もいる。
もぎ取られた腕が、流し台の中に
マフムード・アジュール(9)の家族は、イスラエル軍の砲撃が始まったときに家から逃げ出した。だが母親のヌールによれば、みんなの動きが遅かったので、マフムードが家に戻り、急ぐように言ったという。 そこに爆発が起きた。片腕がもぎ取られ、もう一方の腕もずたずたになったマフムードは、逃げ遅れそうな家族に言った。 「僕のことは置いていってほしい、僕はここで死ぬんだ」 両腕をなくしたマフムードはいま、何をするにも足を使っているが、できないこともある 「母さん、頭がかゆいから、かいてくれない? 鼻もかいてほしい」 写真家のアブドラ・アル・ハジは空爆を受けて両足を失ったとき、漁師が釣った魚を手に海から出てきたところを撮影していた。 イスラエルとイスラム組織ハマスの戦争が始まった当初、アル・ハジはカメラを構えようとしなかった。 「破壊の写真は好きではありません」と彼は言う。「いつもガザの美しさと愛の写真を撮っていたので」 ガザで犠牲者が増え続けるなか、「気づいたら死体に話しかけている自分がいました」。 ファティマ・アブ・シャールはその日、14歳の息子が初めて作った食事を口にして、「おいしいよ」と伝えたところだった。 次の瞬間、爆発音とともにキッチンが揺れた。 「もぎ取られた私の腕が、目の前のシンクの中にありました」と彼女は言う。 娘のタラ(8)は片足を失い、義足ができるのを待っている。
子供の犠牲者数が多すぎる
ハマスがイスラエルを奇襲攻撃したことで、ガザでの戦争が始まった。イスラエル軍はハマス打倒を目指すなかで、民間人の被害を出さないよう努めているというが、現実には膨大な数のパレスチナ人が犠牲になっている。 ガザ保健当局の推定では、イスラエル軍の砲撃と侵攻によって死亡した何万人もの犠牲者のうち、約1万5000人が子供だ。 多くのガザ住民が重傷を負っているが、治療のために出国できる人はごくわずかに限られる。カタールで取材に応じてくれた人たちは、ガザに残してきた家族や友人、隣人らを思って嘆いていた。それは残してきた人が死者であっても同じだった。 「私たちもみんなと一緒にあの世へ行きたかった」と語るのは、ダレン・アル・バヤア(11)だ。彼女と弟のキナン(5)は空爆を生き延びたが、意識が戻ったときに両親と兄は助からなかったことを知らされたという。 戦争が始まってから1年以上、ガザ住民200万人のほとんどが戦闘によって家を追われた。それも一度ではない。多くの人は、わずかな持ち物と、いまいる場所よりも安全なところがあるかもしれないという希望だけを携えて避難した。 だが、その希望は何度も打ち砕かれた。 イブラヒム・アル・ダフーク(15)もガザ市の自宅を追われた。彼の場合は、隣家の爆発によって腕を切断された。父親はその腕を救おうと彼を車椅子に乗せ、南方の街の病院まで必死に押して運んだという。 取材に応じてくれた人たちが語ったのは、爆発が一瞬にして、風景も身体も判別できないほど変えてしまう世界だ。 「脚が砂のようになっていました。そこに脚はあるんだけど、骨が粉々になっていました」と、ヌサイバ・クライブ(9)は言う。 彼女は結局、脚を切断した。