閲覧注意の目玉ゼリー、脳みそケーキ、指クッキー…注文殺到「グロすぎるお菓子店」を立ち上げた女性店主の来歴
■ホラー映画で英語を学ぶ 中西さんは1978年、大阪の池田市で生まれた。公務員で忙しくしていた両親に代わって、近所のおばあさんが世話をしてくれた。 幼い頃から読書が好きで、自宅にいる時はだいたいひとりで本を読んでいるか、寝ているか。おばあさんからは、「すごく楽で、育てやすかった」と言われていたという。特にお気に入りのグリム童話全集を何度も読み返していた影響か、いつの頃からか「海外暮らし」に思いをはせるようになった。小中学生の頃には、周囲の人たちとまんべんなく仲良くしながらも、「なんか違う、ここじゃない」と違和感を抱くようになり、海外への思いはますます加速した。 念願かなってアメリカのニューヨークに渡ったのは、短大卒業後の1999年。語学留学から始まったアメリカ生活で英語を磨くために役立ったのが、「どちらかというと怖くて苦手だった」ホラー映画だった。 「もともと人間の心情に寄り添うようなヒューマンドラマが好きで、アメリカの映画館に観に行ったんです。そしたら込み入った会話が多くて、まったく理解できなかったんですよ。これを観てても英語の勉強にならへんよなと思って、ブロックバスター(レンタルビデオ屋)でほかのジャンルの映画を借りているうちに、ホラー映画いいやんって。よくわからない言語で怖い映画を観たら、ビジュアルがメインになるから面白くて、笑いながら観てました。ストーリーも単純で、英語がめっちゃ聞き取れるようになりましたね」 ニューヨークでの暮らしは思いのほか肌に合い、ようやく自分の居場所が見つかった気がした。2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が起き、日本でニュースを見た両親から、「大丈夫なんか? 帰ってきたほうがいい」と電話がかかってきた時も、ナカニシさんは「ぜんぜん大丈夫。帰らへん」と答えている。9.11で周囲の日本人の多くが帰国しても、アメリカに残る道を選んだ。 ■ジェットコースターのような5年間 そのままアメリカに住み続けたかったのだが、学生ビザの有効期限は5年。期限が切れる2004年、渋々日本に戻った。それでも諦めきれず、観光ビザで再びアメリカに飛び、現地で生活する道を探っている時に、ニューヨークで仲良くなった和歌山出身の友人から声を掛けられ、帰国を決める。 「和歌山でドッグランを併設したドッグカフェを一緒にやらへんって誘われたんです。その子に『日本で働いたことないやろ、1回働いとかな、日本に戻らなあかんくなった時、生きていかれへんようになるで』って言われて、確かにそうやなと思って」 もともと犬と猫が好きで、ニューヨークでトリマーの資格を取得して働いていたナカニシさんは、友人のアイデアに乗ることにした。しかし、現地を視察した時にかつて地元で感じた「ここじゃない」という感覚が蘇り、誘いを断って大阪に帰郷する。 これが、運命を変える決断になった。「いったん日本で働こう」と語学学校に勤め始めてから間もなくして出会った男性と結婚したのだ。これでアメリカに再渡航する計画はなくなり、1年ほどで語学学校をやめた後、トリマー、ペットショップ店員、ホテルのフロント、ホテルの清掃のパートと職を転々。その間に出産し、離婚してシングルマザーになるという、2004年に帰国してからジェットコースターのような5年間を過ごした。