「平成」と伴走した最強の批評家、福田和也とは何者だったのか?
角川春樹、バンザーイ‼
奥付に平成元年(1989年)と記されたデビュー作『奇妙な廃墟』を皮切りに、中瀬ゆかりとは『日本人の目玉』(新潮社)、飯窪成幸とは『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』(文藝春秋)といった代表作が世に送り出され、福田の周囲には異能の編集者たちが集った。これが2000年代初頭までの話だ。 〈若手作家をやり玉に挙げるならまだしも、「小説の運命」と構えて安岡章太郎、吉行淳之介、庄野潤三、三浦哲郎、丸谷才一などの大御所の小説に軒並み言いたい放題をしたのだから、周囲から正気を疑われて当然である〉【3】と言いながら、のちに『皆殺し文芸時評 かくも厳かな文壇バトル・ロイヤル』(四谷ラウンド)の名で単行本にまとめられる座談会を企画したのは、『イデオロギーズ』(新潮社)を担当した風元正。この流れの先に『作家の値うち』(飛鳥新社)が現れるのは、必然だったかもしれない。 福田の人間性については、長年に亘ってもっとも近い場所にいた3人の女性編集者たち、中瀬ゆかり、井本麻紀(講談社/『悪女の美食術』などを担当)、田中陽子(扶桑社/『en-taxi』元編集長)による鼎談〈機嫌よく生きる――福田組の愉快な日常〉が詳しい。 福田が書き手としての存在感を強めていくのと並行して、彼を担当する編集者たちも出世を遂げた。これは福田が出世させた、という意味ではなく、福田には編集者を見抜く目があり、編集者たちにも書き手を見抜く力があったということだ。さらに彼らには一蓮托生の覚悟もあった。 〈田中:〝保守の本質〟じゃないけど、ご自分が守ろうとする人や物事がはっきりされてましたよね。アモーレに角川歴彦さんがいらしたことがあって、福田さんも入口近くの八人くらいのテーブルでご飯を食べていたんだけど、歴彦さんが帰るときに、歴彦さんに向かって「角川春樹バンザーイ‼」って大きな声で、万歳したことがありました(…) 井本:「春樹バンザーイ‼」事件(笑)。あれは、酔っぱらっていても記憶に深く刻まれたよね。 中瀬:はいはい、私もいたなあ。ちょっと爪痕を残す感じで「バンザーイ‼」って。 田中:大人だから席まで行って喧嘩はしないし、澤口さんの店だから「来るな」とも言わないんですけど、あれはちょっとびっくりしました。一生忘れない(笑)。福田さんスピリットを表すエピソード。〉【4】 こうした振舞いが恰好いいのか、悪いのか、下らないのか、面白いのかは目下の問題にはならない。「正しさ」以外の価値基準において、書き手と編集者が共謀していた時代があったというだけのことだ。 デビュー直後の福田と知り合い、30年以上付き合った飯窪成幸は月刊文春の編集長を経て、文藝春秋の社長にまで上り詰め、中瀬は『新潮45』の編集長を経て、新潮社の執行役員となった。 彼らは皆、〈識者の「正しい」意見などではなく「力のある」信念〉【1】を信じて、「ポリティカル・コレクトネス」ではなく「覚悟に基づく面白いこと」に賭けた雑誌や本を作ってきた。その上での出世だ。