「原点は母が持ち帰った2切れのマグロ」すしざんまい社長が語る “マグロ大王”への転機
銀行の裏切りで人生最大のピンチ
1979年、27歳で「木村商店」を起こす。といっても、間借りした部屋の隅に、机とイスと電話を置いただけ。まず水産物から取り扱い、徐々に利益を上げていった。半年後には弁当店を開き、1年後には冷凍魚介類、本マグロも扱うようになる。海外にも目を向け、漬物を中国で生産したり、鶏をタイで育て、その肉で唐揚げを作ったり。 「30歳のとき、ハドソン川の河口にあるマーケットに行ったらマグロが安い値段で売られていて驚きました。大トロも赤身も全部同じで1キロ200円ほど」 もちろん買って帰った。 コンテナを利用した、カラオケルームやレンタルビデオ店の経営も始めた。レンタルビデオはコンピューターで管理システムを作った。 「どちらも当たって、カラオケなんか3000室もあったんだよ」 豪快に笑いながら、当時を振り返る。 どんなことがあっても、どこへ行っても、アイデアをひねり、ビジネスにつなげるのが木村さんだ。アメリカにマグロ釣りに行けば、ウニやウナギが手つかずのままいるのを発見。 食文化が違えば安く入手できると知り、格安で輸入した。地中海を旅行中に、スペインから“いいマグロがある”と電話をもらって、駆けつけて冷凍し、日本に送ったこともある。こうして世界のどこに、いつ、いいマグロが獲れるかわかるようになり、独自の輸入ルートをつくっていった。そして、手がける事業はいつしか80を超える数になっていた。 そんなイケイケの木村さんだったが、事件は起きた。木村さんが海外出張中に“メインバンクの担当者が家に来た”と妻から国際電話が入った。“いつもの手形の書き換えだろうから、印鑑を押していい”と伝えたのが、事の始まりだった。 「ところが、それが“手形貸付を一括返還する”という内容だったんだ。そんな大事なことは私に直接、説明すべきでしょ!」 木村さんは激怒し、銀行に抗議したが、後の祭り。妻は自分のしたことに震え、泣き出してしまった。 「仕事っていうのは、家族を幸せにするためにやるもの。なんで泣かせてしまったんだ、と反省しましたね」 と、しんみり。だまし討ちをされたショック。だが、そのとき銀行側も経営破綻寸前だったことを後から知る。 一括返済に加え、バブル崩壊後、他行からも数百億円の借入金の返済を迫られ、すべての事業を整理するしかない。独立したい担当社員には独立してもらい、ビジネス仲間に引き取ってもらえる事業は、引き継ぎをお願いした。パイロットも法曹界も諦め、ようやく成功の階段を上がっていたはずなのに、銀行の裏切りでハシゴを外され、どん底に突き落とされた。 事業の整理がほぼ終わったころ、ビジネス仲間からゴルフに誘われた。ラウンド中に妻から電話があり、「知らない人たちからどんどんお金が振り込まれている」と言う。 振り込み側の名前を聞くと、なんとその場にいる仲間たちの名前だった。そのために彼らはゴルフ場に集ってくれたのだった。 「木村さん、マグロの夢があるんだろう。そのためにお金を使ってよ」 「応援しているよ、頑張って」 と口々に言ってくれた。借用書も返済期限もなく、応援の意味だけでお金を振り込んでくれたのだ。この恩には必ず報いよう、木村さんは心に誓った。この支援金は、のちに『マグロファンド』と呼ばれるようになる。