「原点は母が持ち帰った2切れのマグロ」すしざんまい社長が語る “マグロ大王”への転機
マグロを守る工夫も
今年5月の爽やかな日、木村さんはモロッコ大使公邸を訪れた。ラシャッド・ブフラル大使はモロッコのお茶とお菓子でもてなし、ふたりは友情を温めた。大使は言う。 「ミスター・キムラは情熱と思いやりにあふれる人。家族ぐるみのお付き合いをしています」 木村さんとモロッコとの出会いは30年前にさかのぼる。あるとき、モロッコ政府関係者からマグロ漁の指導を求められた木村さんは、現地を視察し、これでは寿司ネタにはならないと、傷つけずに獲る方法、さばき方・保存方法などを徹底教育。いい状態のマグロを輸入することで、大使はもちろん、王室、政府要人にも信頼され、交流を深めてきた。 輸入しているのはマグロなどの海産物だけではない。大使は取材班に、1本のワインを見せてくれた。 「モロッコはワインの産地でもある。このワインの名は『シャトー・キムラ』です」 木村さんの功績をたたえ、その名を冠したワインだった。木村さんは破顔一笑、 「うまいんだ、このワイン。うちの店で出す予定です」 と、紹介してくれた。 回遊魚のマグロは世界の海を泳いでいる。木村さんも漁場から漁場へと移動する。2005年ごろ、キハダマグロやバチマグロの世界的な好漁場であるソマリア沖では海賊被害が多発していた。木村さんは海賊たちがもとは漁民だったことを知ると、 「君たちは海賊をやって、盗んだお金で子どもを育てるのか。それよりもいい魚を獲ってくれれば、喜んでお金を払う。後ろ指さされない生き方をしようよ」 と諭し、漁業指導をした。世にいう“すしざんまい社長の海賊退治”の顛末だ。この活動で、木村さんはジブチ共和国から感謝され、勲章をもらっている。木村さんのエネルギッシュな行動とフレンドリーな笑顔は、各国の要人も虜にしている。 バブル期、世界中から日本に向けてマグロ輸出が盛んになった。日本の一本釣りとは異なり一網打尽に何千尾ものマグロを獲る巻き網漁では、傷ついた魚も稚魚もお構いなしだ。木村さんは思った。「これでは魚が焼けや身割れを起こして質が下がってしまう。さらに絶滅の危機に瀕するのも時間の問題だろう」 そこで考えついたのが「マグロの備蓄」。これは、海の中につくった巨大な生簀に、成長したマグロを入れて、元気な状態を保ちながら産卵させ、大きくなったマグロを必要な数だけ出荷すること。研究と工夫で、世界数か国の海にマグロの生簀ができた。 「もうマグロが増えて、増えて(笑)。自然にお返ししながら、人間もいただく」 同様に、ほかの魚もエビも備蓄し、残飯を堆肥にして米や野菜も作ってお店に出している。 「うち、百姓だったからね。米や野菜作りは子どものときから手伝っていたんだよ。SDGsなんて50年前から取り組んでいます」