ラストイヤーに初優勝のジュラシック・木澤大祐 肉体労働に従事しながら挑戦してきた過去 「諦めない」姿勢が結んだ最高の結末
敗北は決して失敗ではなく、その悪あがきの轍はいつしか「諦めない美学」へと昇華し、苦しみや困難の先にある人生の魅力に出会わせてくれる。そんな生き方を、「ボディビル」という競技の舞台で描ききった男がいる。 【写真】木澤大祐選手の「まるで恐竜」なモリモリの筋肉
「負け続けたからこそ、今があると思います。最後の最後に、こんなにいい景色が待っているとは思ってもみなかったです」 10月6日に大阪で開催されたボディビル国内最高峰の舞台、日本男子ボディビル選手権大会。試合後、ステージ上でマイクを向けられた木澤大祐(きざわ・だいすけ/49)選手は、興奮と熱気が冷めやらぬ観客席に向かって、柔らかい口調でそう語りかけた。 来年1月で50歳。木澤選手はこの日本選手権を最後に、約30年に及ぶ競技人生に幕を下ろすことを決めた。18歳でコンテストデビューを果たし、29歳で日本選手権に初挑戦。以来、20回連続でファイナリスト(12位以内)となるも、そこに至るまの道のりは平坦ではなかった。 初出場となった2004年からは4年連続で6位と足踏みが続いた。2008年には4位とようやく前進するも、そこから順位はじわじわと下降線を描き、2017年には11位まで後退。一歩でも踏み外せば崖から転落してしまう窮地に追い込まれた。 「こんなはずじゃないと。自分の中での課題を改善していけばもっと上にいけるはずだと、そう希望を持って毎年、挑戦していました。でも結果はダメで、翌年に挑戦してもまたダメで……。そんな状況が10年ほど続きました」 転機は突然訪れた。2017年にトレーニングジム「JURASSIC ACADEMY」をオープン。それまでは医療廃棄物の回収という肉体労働に従事しながらボディビルへの挑戦を続けていたものの、このジムの設立を機に環境が一変した。翌2018年の日本選手権では前年の11位から6位と急浮上。以後、40歳を過ぎたところで徐々に順位を上げていき、2021年、そして昨年2023年は2位と優勝まであと一歩のところまで迫る勢いをみせた。 そして迎えた2024年。最後の日本選手権の舞台で行う最後のフリーポーズの曲に、木澤選手は「ファンの方が選んでくれた」というディズニー映画「ヘラクレス」主題歌の「Go the Distance」をチョイスした。タイトルの意味は日本語で「やり抜く」「成し遂げる」。力強いそのステージングは、「Thank you, bodybuilding and good-bye」というメッセージで締めくくられた。声の主は自身のYouTubeチャンネル「ジュラシックチャンネル」で立ち上げ当初からコンビを組んでいるカメラマンの岡部みつる氏。ファンとともに、仲間たちとともに歩んできた30年。その思いを、木澤選手は1分間のステージに詰め込んだ。 「人生ではほとんどのことがうまくいかないんだなと、そう思い知らされた30年でした。でも、それを乗り越えることでいろんな悩みを解決できたり、喜びと出会えたりしました。そんな山あり谷ありの競技人生を経験させてもらいました」 試合後の表紙式、木澤選手はゴールドのメダルを胸に、ステージの中央に立っていた。引退試合にして初の日本選手権優勝。もし、どこかのタイミングで歩みを止めていたら、この日のこの瞬間に出会うことはなかったであろう。ときに苦境の中でもがき、ときに小さな喜びの中に希望を見出し。ここまでの道のりの出来事は、すべてこの日のためにあった。 「やり切りました。最後にこんな結末が待っているとは思わなかったです。こんなに楽しい競技人生を送れて、本当に幸せでした」 人生には意味があり、諦めずに闘うだけの価値がある。だから、明日もがんばろう。
【JBBFアンチドーピング活動】JBBF(公益社団法人日本ボディビル・フィットネス連盟)はJADA(公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構)と連携してドーピング検査を実施している日本のボディコンテスト団体で、JBBFに選手登録をする人はアンチドーピンク講習会を受講する義務があり、指名された場合にドーピング検査を受けなければならない。また、2023年からは、より多くの選手を検査するため連盟主導で簡易ドーピング検査を実施している。
取材:藤本かずまさ 撮影:中島康介