方向転換のスキルを磨け。「怠け者の天才」から学ぶ自分らしく生きる5つの指針
3. 最終目標は偉大さではない。それは統合である
偉大さを最終目標にせずに、もし統合が目標だとしたらどうでしょうか? 個人としての完全性、地に足をつけた安定感、どんな状況にも動じない姿勢であるとしたら? 一日の出来事を振り返る代わりに、一日をどのように感じたかを振り返るとしたら? このパラダイムシフトにおいて、私にとって最も重要な瞬間の一つは、約10年前、2人の小さな子どもと一緒に家にいた時のことでした。 私は母親向けの時間管理の本を読んでいて、その本の著者は2つの異なる日を描写していました。一日目はカオスな日でした。筆者の娘たちは昼寝をせず、食べ物を投げ、用事を片付けることはできず、母親は座る暇もなく、シャワーを浴びることすらできませんでした。それは、まさに「育児中の大混乱ママ」の典型的な姿でした。 つづいて彼女は2日目について描写しました。その日は、子どもたちが同時に昼寝をしたので、すべての用事を済ませ、その前に身なりを整え、夕食も前もって作ることができました。夫が予想外に、町外からのクライアントを連れて帰宅し、家族との夕食に加わることになりましたが、それだって準備万端でした。 私はこの2日間の話を読んで、次の一言が「そして、どちらの日も大切だ」といった内容になるだろうと予想していました。しかし筆者はそう書きませんでした。「そして2日目こそが、母親として妻として、私が今までで最も誇りを感じた日でした」と書いていたのです。 私はその言葉を昨日のように覚えています。それを読んで私の心は沈み、一気に自信を失いました。自分らしくいること、そして辛い一日を乗り越えられたと満足している自分らしさを誇りに思うことを認めてほしかったのに。 その時、私は自分の目標がほかにあると気づきました。その著者の目標は偉大さ、私の目標は統合なのです。 人生で何が起ころうとも、嘘のない真の自分らしくあることに対して、あなたは嵐の中の灯台のような、風の中に立つ樫の木のような存在になります。それは、エンドウ豆を食べたくないと頑なに拒否する幼児の意志のようなものです。 個人の統合を目指すことから生まれる強さは、偉大さを目指す力とはあきらかに異なります。一方は一生続くもの、もうひとつは気まぐれなものです。私の友人で詩人のデイビッド・ゲイトが書いたように、「誤って突っ走ることは羅針盤としては最悪です」。