イギリスで活躍した女性芸術家たちに刮目せよ!「Now You See Us: Women Artists in Britain 1520-1920」(テート・ブリテン)レポート(文:伊藤結希)
芸術・社会における自由主義の高まりと不自由さ
第一次世界大戦末期の1918年、ついに一定の条件を満たした女性に参政権が与えられる。また、社会の大きなうねりとともに美術界にも変化が訪れ、具象的なリアリズムよりも実験的なモダニズムが志向される自由主義が高まりを見せていた。 とはいえ女性たちには引き続き自由からは程遠い障害も立ちはだかる。最終章では、伝統的な芸術表現への挑戦は控えめであるものの、女性に期待される芸術の領域を押し広げ、次世代の女性芸術家の橋渡しとなった作家を探求する。 国内外の展示で高い評価を得ていたローラ・ナイトは、1936年にロイヤル・アカデミーの正会員に選出される。女性の正会員はじつに170年ぶり、創立メンバーのカウフマンとモーザーに続く3人目、推薦ではなく選出による初の女性会員となった。アトリエを出て、屋外での制作に取り組むようになったナイトの作品は、自立した凛々しい女性像も印象的だ。 こちらの自画像は、当時唯一女性を受け入れていたスレード美術学校で学んだグウェン・ジョンのデビュー作。ロイヤル・アカデミーに対抗して生まれたニュー・イングリッシュ・アート・クラブ(NEAC)で本作をお披露目したが、当時のNEACは女性の入会を認めていなかった。そのためスレード美術学校を卒業した女性画家の多くが、その後のキャリア形成で予期せぬ困難に直面した。 ジョンは、男性が描く理想化された女性とは正反対の自然なポーズ、表情の女性を描き続け、近年再評価が目覚ましい作家のひとりである。 同性パートナーだったエセル・サンズとアンナ・ホープ・ハドソンの作品が並ぶ。ふたりは決してモダニズム芸術史に名を残した著名な画家ではないが、定期的に展覧会に出品し、ポスト印象派の画風でドメスティックな題材を探求し続けた。カムデン・タウン・グループの創設者であるウォルター・シッカートと親しかったにもかかわらず、同グループは公然と女性を排除していた。 そもそも裕福で恵まれた芸術一家でないと「描くこと」にアクセスできなかった女性たち、金銭のために絵を描くことは不適切とされた女性たち、結婚後その地位を「プロ」から「アマチュア」に切り替えざるをえなかった女性たち、自分で制作していないと難癖をつけられた女性たち。女性だからという理由で排除する芸術グループや美術学校……。 本展は、数々の障害を乗り越えて芸術に向かい続けた女性たちを讃えるのと同様に、その壁を乗り越えられなかった女性たち、乗り越えても道を拓くには至らなかった女性たちにもスポットを当てる。かつて確かに生きていた「私たち」を視覚化する展示である。
Yuki Ito