16シーズン、178試合の轍。山下裕史[コベルコ神戸スティーラーズ/PR](後編)
5月4日のリーグワン ディビジョン1第16節三重ホンダヒート戦で後半17分から交代出場し、トップリーグ、リーグワンの通算試合出場数を歴代最多の178に更新した、コベルコ神戸スティーラーズのPR山下裕史。 (前編)笑顔でインタビューに応じる山下裕史 38歳のベテランが歩んできた、これまでのラグビー人生の道のりを前編・後編に分けてお伝えする。
都島工から京産大に進んだ山下。当時の大西健監督の下、徹底的に鍛えられた。今から30年近く前。まだチームにはキャプテンズランもなかった頃だ。監督の方針で、スクラムはとにかく数を組んだ。 「1年から試合には使ってもらってたんですけど、練習はスクラムだけ。春の時期、ボコボコに負けるんですよ。“なんでこんなしんどい練習をしてるのに負けるんだ”と先輩に言ったら、“大丈夫。シーズンに入ったら勝つから”と。実際、勝つんですよ。優勝まではいかないけど、そこそこしっかり勝てる。“この人たち、すごいなあ”と」 その下地が社会人になって花開く土台となる。神戸に入社後、スティーブ・カンバーランドコーチ(故人)との出会いが成長を加速させる。 愛称カンビー。早逝したが、スクラムに情熱を燃やした指導者だった。カンバーランド氏は3番に身体の大きな選手を起用、サイズのある山下はまさにその理想だった。 「カンビーが来て、スクラムが強化された。京産大で数を組み込んで引き出しを増やして、神戸でカンビーとそれを磨き上げた感じです」 3番は練習で1番と組み合うが、山下にとって幸いだったのは、3学年先輩に最強の1番がいたことだ。 「いまだに平島さん(久照/日本代表・現スクラムコーチ)を超える1番はいません。当時、背格好が同じだったので一緒に組むことが多かったんですが、しんどかったです」 山下によると1番には「攻めタイプ」と「守りタイプ」があるという。 「サイズの大きい1番もいますけど、組んだときに3番を受けるタイプだと、自分のチームの3番がいってくれないと前に出られない。平島さんは相手の3番をやっつけてくれた。うちの山本幸輝も、攻めの1番。耐えもできるし、攻めもできる貴重なタイプ。平島さんは背中がデカくて、生粋の大きさの1番でした」 今は各チームの若い1番と組み合うことを楽しんでいる。 ベテランフロントローの結論は「スクラムは教えられない」だ。 「ただただ組んでる中で、答えを見つける。モールとスクラムは絶対に数です。教えるより実際に組むのが一番」 それは恩師である京産大の大西監督から学んだことでもある。 「組んで組んで根性を養った」 受け継いだのは、それだけではない。 「橋本(大輝=FL/神戸・京産大の後輩)が現役を辞めるとき、一緒に挨拶に行ったんですが、伝統と歴史のことを話された。“歴史は時間が作る。伝統は歴史が紡いでいく”と。退官式のときには“お前ら、歴史にあぐらをかくなよ”と、どストライクの事を言われた。神戸が負けて終わった直後だったから、胸にグサッと刺さって、ハシモ(橋本)と二人で“かなわんなあ”と」 まもなく、新しいシーズンに向けてチームとしての活動が始まる。5月のリーグワン表彰式では引退した堀江翔太さん、田中史朗さんと功労賞を受賞し「現役でもらっていいんですかね」。同僚のSOブリン・ガットランドには「お前は来年もその賞をもらうつもりなのか」と聞かれた。 「やめる理由は見当たらない。チームから肩を叩かれるまでやろうかなと。シーズンが始まったら状況によって変わってくると思いますけど、出てなかったときに、自分はチームに必要なのか、そこにいたいのか葛藤があると思う。その時はまたHCなり、福本さん(チームディレクター)なりと話し合って決めようかなと」 まずは8月の始動に向けて、体調を整えることに心をくだく。 「次の目標はケガなく引退。あわよくば、優勝して。来年出られるかどうかは分からないけど、まずはチームがスタートする時、いいコンディションに持っていく。デイブ・レニーHCも2年目。1年間一緒にやって、自分を知ってくれている。この歳で急にスピードが上がるとか、僕の特性は変わらない。彼の考えるチームスタイルと僕のスタイルが合うのかどうか。そこが新しいシーズンのフォーカスポイントです」 職場は入社1年目から変わらず、加古川製鉄所の神戸線条工場だ。 「会社に入るにあたって、希望する部署を聞かれたんですけど、汗っかきなんで“スーツは着たくないです”と。工場だと作業服だし、今はポロシャツで行けるのでありがたいです」 2018シーズン、ウェイン・スミス総監督の下、2003年以来のトップリーグ制覇を果たした時のこと。決勝戦は会社の伝統に思いをあらたにすべく、選手たちは作業服を身にまとい会場入りしたが、「僕は毎日着てたから、目新しさは一切なかった(笑)」 会社では管理職になる年齢だ。いずれは訪れる現役に別れを告げる時期も絡んで、心は揺れている。 「そろそろラグビーを辞めたあとも考えないといけない年齢になっている。辞めた瞬間、ラグビー選手ではなくなる。その哀しさとどう向き合うか。その後どうするか。いまぐるぐるしてますね」 グラウンドでも会社でも。ヤンブーは先駆者として、まだまだ舗装されていない道を切り開いていく。 (文:森本優子)