『光る君へ』道長から執拗に退位を迫られる三条天皇、同情していた藤原実資まで日記に怒りをぶつけて見限ったワケ
『源氏物語』の作者、紫式部を主人公にした『光る君へ』。NHK大河ドラマでは、初めて平安中期の貴族社会を舞台に選び、注目されている。第43回「輝きののちに」では、内裏での度重なる火事をきっかけに、藤原道長が三条天皇に譲位を迫る。三条天皇は怒りを見せるも深刻な眼病を患うようになり……。『偉人名言迷言事典』など紫式部を取り上げた著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部) 【写真】藤原道長の日記『御堂関白記』に三条天皇が参籠したと書かれている京都・広隆寺 ■ 道長と一緒に三条天皇に退位を迫った「意外な人物」 今回の放送「輝きののちに」では、冒頭から藤原道長が三条天皇に譲位を迫っている。シリアスな展開だが、思わず笑ってしまうような場面もあった。 道長は、内裏で火災が続いていることについて言及しながら「恐れながら、二度にわたる内裏の火事は、天がお上の政にお怒りである証と存じまする」と、三条天皇の治世に問題があると主張した。 実際に、長和3(1014)年2月に内裏が火災で焼失すると、3月にも火災が起きている。このときには、大宿直(おおとのい)から出火し、内蔵寮不動倉(くらりょうふどうそう)や掃部寮(かもんりょう)まで火が移り、累代の宝がことごとく失われたというから、大ごとである。 当時は天災が起きると、為政者の不徳に対する天罰だと考えられていた。そのため、道長は堂々と三条天皇に譲位を迫ることとなった。 ドラマでは、そんな道長の態度に驚く藤原道綱の「顔芸」が印象的だった。道綱は道長の異母兄にあたる。ドラマでは、上地雄輔がお人よしで憎めないが、何とも頼りないキャラクターとして道綱を演じている。 実際の道綱も何かと軽んじられていたようだ。藤原実資(さねすけ)からは「一文不通」、つまり「文字が書けない」と揶揄され、実資の日記『小右記』では「あいつは自分の名前を書くのがやっと」とまで書かれている。 今回の放送では、そんなポンコツな道綱らしいやりとりがあった。道長が三条天皇に譲位を迫ると、三条天皇が道綱に「道綱、そなたもそう思うておるのか」と問う。すると、道綱は思わず反射的に「はっ!」と同意してしまい、三条天皇から「この無礼者め! 譲位なぞもってのほかである。下がれ!」と叱責を受けている。 文献をひもとけば、これがただのウケ狙いのシーンではないことが分かる。長和3(1014)年3月14日付の『小右記』によると「一日、左府及び大納言道綱、相俱に、天道、主上を責め奉る由を奏す」とあるように、道長と道綱が並んで「天が三条天皇を責めている」と訴えたのだという。 ドラマでは、まさにこの記述通りの展開だったわけだが、そのままやれば道綱のキャラに合わない。そのため、「退位を迫る道長に、いつもの癖で何も考えずに同調しちゃった道綱」という演出にした。 ちなみに『小右記』では、上記のいきさつを聞いた実資がこう憤っている。 「僕射、縦ひ思ふ所有りと雖も、道綱、何ぞ同心するか。愚なり、愚なり」 (大臣の道長が思うところがあるのは分かるが、なぜ道綱が同調するのか。愚かである) 道綱は、三条天皇がまだ皇太子だった幼い頃から、世話や教育を行ってきた。それだけに、道長だけではなく道綱からも退位を迫られたのはショックだったことだろう。