『光る君へ』道長から執拗に退位を迫られる三条天皇、同情していた藤原実資まで日記に怒りをぶつけて見限ったワケ
■ 実資が三条天皇に「もう相談しないでくれ」と憤った理由 またこの頃、三条天皇は深刻な眼病を患っていた。そのことを道長に悟られると、なおさら譲位を迫られるようになる。ドラマではこんな道長のセリフも飛び出している。 「帝はお目が見えず、お耳も聞こえておられぬ。このままでは帝としてのお務めは果たせぬ」 日に日に孤立を深めた三条天皇が頼ろうと考えたのが、藤原実資である。 三条天皇は即位してまもない長和元(1012)年、道長の次女・妍子(きよこ)を中宮にしながら、長年寄り添った妻・娍子(すけこ)も皇后にすると言い出した。道長からすれば、当然面白くない。そこであえて娍子の立后の儀と日を同じくして、娘の妍子を内裏に参入させることを決める。 三条天皇はその無礼さに激怒しながら、実資の実兄・懐平(かねひら)に対して「右大将を我が方人(かたひと)に」つまり、「実資を私の味方にする」と宣言した。そして、娍子の立后の儀が行われると、ほとんどの公卿が道長に遠慮して不参加を決め込む中で、実資は懐平とともに、しっかりと出席している。 よほど嬉しかっただろう。その翌日、三条天皇は人を介して実資にお礼を伝えると、こんなメッセージまで送った。 「もし自分が意のままに政治を行えるようになったときには、実資に諸事を相談することになるであろう」 実資を自分の右腕にと当てにした三条天皇。道長から退位を迫られると、実資の養子である資平(すけひら)を蔵人頭にしようとした。 ドラマでも、実資から「信用できる蔵人頭をお置きになられませ」と助言を受けると、三条天皇は「そなたの息子、資平はどうだ?」と提案。実資が「資平でございますか!」と驚くと、「そなたの息子なら信頼できる」と応じている。 一本筋の通った実資ならば、三条天皇に取り込まれるのを恐れて、身内の昇進さえも断りそうだが、ドラマでは表情をほころばせて「ははっ!」と伏している。 この三条天皇の思い付きが波紋を呼ぶことになる。道長はその人事を拒絶。また、三条天皇の第1皇子・敦明親王からも「蔵人頭に友達の藤原兼綱(藤原道兼の三男)を任命してほしい」と頼まれてしまう。結局、三条天皇が蔵人頭に任命したのは、資平ではなく兼綱だった。ドラマでもそんな史実通りの展開が繰り広げられた。 実資が一人で墨をすりながら「約束をほごにするなら、私を二度と頼りにするな!」と三条天皇に憤る場面があった。実際の実資も『小右記』に「天皇の仰せは頼むことはできない」と怒りをぶつけている。 三条天皇を見限った実資は、やがて道長の嫡男・頼通の補佐役を務めるようになる。頼通と実資の関係性がどう深まっていくかは今後の注目ポイントである。