『光る君へ』道長から執拗に退位を迫られる三条天皇、同情していた藤原実資まで日記に怒りをぶつけて見限ったワケ
■ 眼病を患った隆家に待ち受ける大事件とは? 教養のある実資は、いろいろな場面でさまざまな人に頼りにされたようだ。今回の放送であったように、藤原伊周(これちか)の弟・隆家も眼病を患うと、実資に相談している。 病状について、ドラマでは「昨年、狩りに出た折、枝が目にささりまして……。その傷がいまだ癒えず、しばしば痛みます」と隆家自身が説明している。角膜の突き傷から細菌に感染し、化膿してしまったらしい。 史実においては、道長も気にしていたようで、長和2(1013)年1月10日の日記で、「去年の突目により、この何日か籠居している」と隆家の様子について記している。 『小右記』によると、実資は「九州の大宰府に宋の名医がいる」と隆家にアドバイス。ぜひ治療してほしいと隆家は大宰権帥への任官を望み、それが実現することとなる。 これで隆家もゆっくり静養できる。そう思いきや、眼病を治したいがためのこの行動が、結果的に隆家の運命を変えることになる。人生というのは、つくづく分からないものだ。 隆家が大宰府にわたってしばらくすると、九州北部の大宰府管内に謎の武装集団が侵入。のちに「刀伊(とい)の入寇」と呼ばれる大事件が起き、隆家はこれに立ち向かうことになったのだ。 今後の物語の中で、隆家の活躍がどんなふうに描かれるのだろうか。シーンは描かれずに、噂で語られるだけになるかもしれないが、それでも楽しみである。
■ マジメな行成が「お金がほしい」と言った背景 ドラマでは、隆家に「大宰府で目を治して、都に戻ってまいれ」といって送り出す道長の姿があった。 実際に、隆家は大宰権帥を辞すると、帰京を果たしている。後任として大宰権帥になったのが、道長を支えた「四納言」の一人、藤原行成である。今回の放送は、その伏線として行成が大宰府行きを希望するという展開もあった。 大宰府に行きたい理由として行成が「己の財を増やしたく存じます」と言ったので、意外に思った視聴者もいたかもしれない。 だが、行成は幼い頃に父方の祖父や父を失っており、有力な後ろ盾がいなかった。子どものことを考えると、自分がいくら出世しても十分とは思えなかったのだろう。そんな背景まで踏まえて見ると、今回の『光る君へ』は一つ一つのセリフが見逃せない、見ごたえのある作品に仕上がっている。 次回は「望月の夜」。道長が残した有名すぎる和歌「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」を『光る君へ』ではどう解釈するのだろうか。 【参考文献】 『新潮日本古典集成〈新装版〉紫式部日記 紫式部集』(山本利達校注、新潮社) 『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫)『藤原行成「権記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫) 『現代語訳 小右記』(倉本一宏編、吉川弘文館) 『紫式部』(今井源衛著、吉川弘文館) 『藤原道長』(山中裕著、吉川弘文館) 『紫式部と藤原道長』(倉本一宏著、講談社現代新書) 『三条天皇―心にもあらでうき世に長らへば』(倉本一宏著、ミネルヴァ日本評伝選) 『偉人名言迷言事典』(真山知幸著、笠間書院)
真山 知幸