「幸せになってほしい」は“有害な言葉”である…人生が「なぜか満たされない」ものになる本当の訳
いえ、そうではありません。だからこそ、幸福の作用を正しく理解することがきわめて有益なのです。 ■快楽の踏み車 「快楽順応」は「ヘドニック・トレッドミル(快楽の踏み車)」とも呼ばれ、幸福感は経験するたびに薄れていくことを指します。幸福感を追い求めるのは、先ほどのチョウを捕まえようとするのに等しく、これを「虹を追う」と表現する人もいますが、その表現は必ずしも正しくありません。 なぜなら幸福感は実際に経験できますが(チョウを捕まえることは可能です)、虹を追いかけても、それを摑むことは決してできないからです。幸福は幻影ではなく、現実に経験することなのです。しかし、束の間、幸福感に満たされても、すぐ元に戻ってしまう、というのが快楽順応の考え方です。さらに言えば、人は、同じ源泉からもたらされる幸福感に慣れ、時とともにその幸福感は薄れていきます。
これについて調べた優れた研究がいくつかあります。その1つは、途方もなくラッキーな経験と、逆に命が縮まるような経験の後で、幸福感がどうなるかを調べました。前者の例では、宝くじに当たった1年後、当選者たちの人生に対する満足度は、当選前に比べてわずかに高いだけでした。実質的に不幸になり、当選しなければよかったと言う人もいました。一方、後者の例として、大きな事故に遭って半身不随や四肢麻痺になった人たちは、自分の幸福度は同年代の人々よりやや低いだけだ、と報告しています。
これは幸福にまつわるもう1つの秘密を明かしています。それは、好ましい出来事、好ましくない出来事、あるいは人生が変わるような出来事がもたらす感情を、私たちは過大評価しがちだということです。 これは「インパクトバイアス」と呼ばれます。最高の気分になれそうな状況は確かに幸福感を急上昇させますが、それは私たちが期待するほどの大きさでも期間でもありません。同様に、私たちが恐れる状況も、実際には思うほど不幸ではないようです。さて、お伝えしたい幸福の秘密は、もう1つあります。