「幸せになってほしい」は“有害な言葉”である…人生が「なぜか満たされない」ものになる本当の訳
■私たちは常に幸せでいられるようにはできていない 1分間、考えてみましょう。基本的に、私たちは常に幸せでいるようにはできていないということについて。 私たちの目的は、幸せになることではないのでしょうか? そうでないとしたら、生きることの目的は何なのでしょう。答えは実に単純です。進化的に見れば、私たちは、子孫を残し、人類を存続させるために生きているのです。この考え方は一見、敗北主義のように思えるかもしれませんが、実際には、私たちを解放してくれます。なぜなら、常に幸せでいたいという願望を手放せば、地に足をつけて、今を生きられるようになるからです。そうすれば、快楽の踏み車のような幸せと不幸せの連続ではなく、常に平穏で深い満足を得られる人生を生きることができるでしょう。
世界のウェルネス業界は、モチベーション思考、幸せになるためのあらゆる教室や製品、数えきれないほどのウェルネスの実践方法を売り物にして、現在では、数兆億ドル規模に成長しています。兆というのは100万の100万倍です。私たちが苦労して稼いだお金を、ウェルネス業界は美辞麗句を並べて吸い上げているのです。 ある意味、その業界は、道徳的な仮面をかぶった美容業界のようなもので、美容業界と同じ心理トリックを使って私たちを魅了します。その中心となる幻想は、私たちはいついかなるときも幸せであるべきだ、というものです。
逆説的ですが、「ウェルネス」がこれほど注目されるのは、ウェルネスの探求が常に不毛な結果に終わるからです。人間は常に幸せでいられるようにはできていないのです。けれども、この勇敢な探求の途上では、「あなたは常に幸せでいるべきです。そうなれないのは、何か根本的な問題があるからです。それを解決しなければなりません」と言われ続けます。 私たちは幸せになることを望み、束の間、純粋な幸せを感じることもありますが、そのような瞬間は稀にしか訪れません。だからこそ、幸せな瞬間の一つひとつを大切にすることが重要なのです。