<飛躍の春に>20センバツ・倉敷商 OBからのエール/4止 伝える側で恩返し 大杉侑也さん(24) /岡山
「選手の本音を引き出して視聴者に伝えたい」。2012年のセンバツに2年生で出場した大杉侑也さん(24)は現在、岡山、香川の両県を放送エリアとするテレビ局・岡山放送(OHK)の記者として働いている。選手の姿に8年前の自分を重ねながら、今度は「伝える側」として甲子園に臨む。 【動画】センバツ出場校、秋季大会熱闘の軌跡 真庭市出身の大杉さんは当時の野球部で唯一、親元を離れて下宿から練習に通っていた。12年のセンバツでは、1回戦の作新学院(栃木)戦で4点を追う九回に代打で出場したが凡退し、最後の打者に。憧れの甲子園で「何もできなかった」。悔しさと申し訳なさでいっぱいだった。 それからチームは猛練習。同年夏も甲子園に出場し、最高成績に並ぶ8強入りを果たした。新チームになると、同級生と「自分たちの代でも必ず甲子園に」と誓い合ったが、3年夏の岡山大会は準々決勝で敗退し、「負けたことが信じられなかった」。試合直後は涙も出なかったという。 最後の夏の悔しさを晴らそうと、大学でも野球を続けた。3年生になって就職活動を始め、さまざまな業種の企業から内定を得て、進路に悩んだ。そんな時、自分が取材される側だった高校時代を思い出した。テレビや新聞で取り上げられると離れて暮らす両親や地元の人が喜んでくれた。「今度は自分が地元で頑張る人を応援して、支えてくれた人に恩返ししたい」。恩師の森光淳郎前監督(49)からも、「テレビ局ならまた野球に関われるのではないか」と背中を押され、伝える側として再び母校に関わることを選んだ。 記者になって2年目の現在は、夕方のニュース番組の特集のためにチームを取材している。「高校時代、多くの記者から取材されて緊張しながら正しい答えを探していた」。その記憶があるだけに、選手たちのありのままを描こうと取材に当たる。「甲子園球児も普通の高校生。本当はどう思っているのか、自然と出る言葉や表情を引き出して伝える方が、見る人も感情移入できる」。それが、同じ経験を持つOBだからこそできる伝え方だと思うからだ。 倉敷商は過去3度のセンバツ出場で、未勝利。「どんな試合でも勝てばまた次がある。とにかく結果にこだわってほしい」。4度目の挑戦で悲願の初勝利を目指す後輩たちを側面から支えるつもりだ。【松室花実】=この項おわり