豊竹咲甫太夫改め竹本織太夫を襲名「名前に恥じない舞台務める」
小学校で文楽授業の講師16年、成果を実感した出来事
織太夫さんはまた、16年前から同劇場に近い大阪市立高津小学校で文楽の授業の講師を担当している。これは約10か月で作品を上演できる技量を身につけるというもので、これまで約500人の児童に文楽を伝えてきた。すると、同小学校に近い黒門市場では、教えている児童、過去に教えた児童も声をかけてきてくれた。 「いま、かつて教えた児童が本当に文楽の世界に入り、戦力になっている人もいるんです。弟弟子の(豊竹)咲寿太夫がそのひとり。教え子が太夫になったり、今回のあいさつまわりでもそうやって声をかけてもらって、本当に続けてきてよかった。16年の成果を実感しました。これからも続けていきたいです」と笑顔で話す。 うれしいこともある。劇場の近くを歩いていて、女性に「先生」と声をかけられた。「小学生のころ、先生に文楽を学びました。今日は同級生3人と観に来ました」。 「文楽を観るのは年に何回とか、一生に何回とか、そういうのではなくて、文楽が身近な存在になっているというのもうれしかったです。自分の生まれ育った街を誇りと思っているから。文楽がそういう存在になっていることに感激しています」
やっていく中で自然と六代目らしい味も出ると思う
六代目織太夫の襲名披露狂言は、竹本綱太夫(八代目)ゆかりの演目『摂州合邦辻・合邦住家の段』。「この綱太夫につながる織太夫という名を、綱大夫五十回忌追善の公演で襲名できるなんて、こんなにうれしいことはないんです」と力強く語る織太夫さん。 八代目は師匠の父。「8歳の時から35年にわたり育ててもらった師匠が、自分が継がず私に織太夫を継がせるというのはとてつもない決心。私は名前に恥じない舞台を務めるのが課題。いや、務めなくてはいけません」 「織太夫」として綱太夫の追善公演を行うとなれば、観客の見方や聞き方、そして劇場内の人間の見方、聞き方も変わってくる。 織太夫さんは「綱太夫ののれんの味を守るべき名前になるからには、やはり味も守られてるなあと思われる太夫になりたい。やっていく中で自然と六代目らしい味も出ると思います」と力強く語った。