豊竹咲甫太夫改め竹本織太夫を襲名「名前に恥じない舞台務める」
父の勧めで留学経験「文楽入ったら行けなくなるから」
父親は「文楽の世界に入ったら自分の好きなところに行く暇もない。狭い世界なので考え方が偏りがちになるので、世界中を旅しなさい。学生時代は友達をたくさんつくりなさい」と言ってくれた。 中学3年生のころから春・夏・冬の長期の休みの際は、スコットランド留学やアメリカ大陸横断、イギリス留学などをさせてもらったという。フランスのルーヴル美術館にも行った。 「普通は学生でそんなに行けないと思うんですよね。けど『文楽に入ったら行けなくなるから行け』と言ってくれた父に、今は感謝しています」と織太夫さんは笑顔で語った。
「愛されて育ったことで、いい修行をさせて頂いてる」
やがて文楽の世界へ入ると、盆も正月もなくなった。しかし自分で望んだ太夫への道。修行はたしかに苦しい。 「早いうちから文楽に触れていたため、いつもどういうパフォーマンスをしたらよいか考えていたため、文楽を『鑑賞する』という形で楽しんだことはなかった」と織太夫さん。目の前で行われていることを覚えて、舞台を務めなければならないということで毎日頭がいっぱいだったという。 それでも文楽はお客さんとの距離が近い。師匠や家族のほか後援者からも「いい太夫になってほしい」と思ってもらえる、そういう言葉をいただく。愛情が入ることによって修行になる。「愛されて育ったことで苦しみにならず、考えすぎることもなく、いい修行をさせて頂いていると思います」。 もちろん、今も「文楽をしょってたつ太夫になって」とあらゆるところから言われる。「そういう空気や言葉をいただきます。それが自覚を生んで、みなさんに望まれる太夫になりたいと思っています。師匠にすごく怒られても、家族や友達や後援者がいる。支えられています」 2017年12月には、地元で襲名のあいさつお練りを行った。「僕はお練りではなく『商店街あいさつまわり』と言うてるんですが黒門市場や心斎橋筋、道頓堀、道具屋筋など、ミナミの商店街を約1時間半かけ練り歩きました」。地元に近いこともあり、多くの同級生や街の人たちが「がんばって」と声をかけてくれた。