井上尚弥戦の期待高まる中谷潤人 師とのLAキャンプで「次戦は拓真選手以上の内容で勝ちたい」
中谷の師であるルディが当地で生まれたのは、1962年10月27日のことだ。5歳の時、近所の雑貨屋にお使いを言い渡されたルディは、タチの悪い男にカネを巻き上げられそうになる。救いに入った父がボクシングジムに連れて行き、グローブを握らせた。 ルディは振り返る。 「ボクシングなんか好きじゃなかった。人を殴る、あるいは殴られるなんて嫌だったよ。でも、父に『やれ!』って言われたら、従うほかなかったんだ。本格的に始めたのは11歳の時さ」 1977年、15歳のルディに思わぬチャンスが巡ってくる。"ニカラグアの貴公子"と謳われた伝説の王者、アレクシス・アルゲリョとスパーリングする機会に恵まれたのだ。まだプロはおろか、アマチュアの試合も未経験だった時期である。 「私は子どもだったが、まずは3ラウンド拳を交えた。面白いように自分のパンチが当たったよ。『もう1ラウンド追加するか?』と言われて、調子づいて向かっていったら、4ラウンド目にボディブローをヒットされたけどね。終了後、アルゲリョに『お前、何戦しているんだ?』って聞かれたから『まだゼロです』って答えたら驚かれてさ。それで自分には才能があるんだと感じた。プロになることを決意して、18歳でデビューした。学校は真面目に行かず、ボクシングに集中した」 WBCウエルター級11位が最高位だったルディは、引退後にトレーナーとなり、4歳下の弟、故ヘナロや竹原慎二、畑山隆則、伊藤雅雪らを指導した。 「私の現役時代には、アーチ・グラントというすばらしいトレーナーがいた。この人以上のティーチャーはいない。テクニックもバランスも、ボクシングの何もかもを理解した人だった。どのタイミングで、いかに選手に声を掛けるかなど、接し方も学んだね」 【リング上で表れる師の教え】 中谷は会心のKO勝ちを収めても、リングで派手な喜び方はしない。「もっと上がある」という感情があるのと同時に、ルディから釘を刺されているからだ。 「相手があってのボクシング。世界タイトルマッチとなれば、対戦相手の家族や仲間も観に来て真剣に応援している。いつだって、その気持ちを把握しなければいけない」