高校野球の曲作り30年 西浦達雄「チャンスはどこにあるかわからない」
高校野球の曲作り30年 西浦達雄「チャンスはどこにあるかわからない」柳曽文隆 岡本ゆか THE PAGE大阪
今年の夏、全国高校野球選手権大会は開催100回という記念の年となり、連日、球児たちが熱戦を繰り広げている。1987年から2014年まで、ABC朝日放送の同大会中継で球児をイメージしたエンディングテーマ曲を担当し、シンガーソングライターの西浦達雄(63)にとっても感慨深い。それもそのはず「100回記念だからこそ、その歌声が聴きたい」と、西浦のファンら有志が手をとり、20日には兵庫県西宮市内のホールでコンサートを立ち上げるまでに至った。多くのファンを魅了する西浦の「高校野球ソング」はどのようにして生みだしてきたのだろうか。 【全編動画】西浦達雄・高校野球ソングを作ったきっかけ、バーテン時代の苦労話も
「昔の曲を聴いてくれてた球児が今は監督に」
7月下旬、西浦に取材を申し込むと、取材場所は大阪市北区梅田にある「MIKIミュージックサロン」を指定された。ここで大人を対象にプロボーカルレッスンの講師を行っており、その合い間を縫って取材に応じてくれた。 同大会のエンディングテーマ曲の担当は2014年で卒業したものの、今年は100回記念ということもあり、西浦もテレビやラジオにゲスト出演し、これまでの曲を披露する機会が多い。 西浦は「今もこうして聴いていただいたりするのはうれしいですね。長い間担当したので、最近では最初に担当した歌を聴いてくれていた球児が、今度は監督として甲子園球場に戻ってこられたりするんですよ。もう、そういうのを聞くとうれしくって」と笑顔で話す。
バーテンで働きながら音楽漬けの日々
今でこそファンの多い西浦だが、音楽人生は決して平坦なものではなかった。高校卒業後にオーケストラの楽器運びや譜面配りを経験したり、20歳からは北新地のクラブでバーテンなどをしながら、バンドマンとして音楽活動を行っていた。 「夕方から午前0時までバンドでピアノを弾いて、その後は午前5時までバーテンをしてました。バーテンといっても雑用を一手にやって家に帰るという生活が続きました」 中学の時にギターをはじめ、18歳の時にピアノを始めた。バンドには小さい時からピアノを弾いていたという腕前のライバルも多かった。「一生懸命練習してもかなわない。けど、僕は作曲ができる」。そう信じながらたくさん曲を作り続け、32歳のころ、人生の転機が訪れた。