高校野球の曲作り30年 西浦達雄「チャンスはどこにあるかわからない」
スタッフの間違えが新たなチャンスに
勤務する店にABC朝日放送のプロデューサーが客として来店。接客をしながら「僕は曲を作っているんですが、よかったら聴いてください」と自分で作った曲を入れたカセットテープを手渡した。数日後、そのプロデューサーから「遊びにおいで」と言われ訪ねると、同局スポーツ担当の部署の真ん中で「こいつ西浦って言うねんけど、力になったってくれー」と呼びかけてくれた。 間もなく、プロ野球・近鉄バファローズの特番でBGMを担当することに。曲を提供したものの、場面ごとに使うと足りなくなり、やむを得ず自分の歌入りの曲の間奏部分をBGMとして使うことを思いつき、担当者に渡したが、担当者は間違えて西浦の声が入った曲を本番で使ってしまった。 しかし、この歌を耳にした番組プロデューサーとディレクター「この歌ええやん」と言い、別の番組でも歌が使われるようになった。そして、1987年、高校野球中継のエンディングテーマ曲に「手の中の青春」が起用され、1989年まで使用された。
あの高校野球ソング、実は「10.19」がモデルだった
その後、先の近鉄バファローズ特番で曲を提供した縁で、プロデューサーから「10.19の阿波野をイメージした曲を作らへんか」といわれた。 この「10.19」とは1988年10月19日、川崎球場で行われたロッテオリオンズと近鉄バファローズ戦のことで、近鉄バファローズが連勝するとパ・リーグ優勝が決定、1つでも負けか引き分けになると西武ライオンズが優勝するという状況下で行われた緊迫のダブルヘッダーのことだ。結果は2試合目が引き分けとなり、西武ライオンズが優勝。この模様は人気ニュース番組でも急遽生中継されるなど、高視聴率だった試合だ。阿波野とは、それらの試合でも力投した当時の近鉄バファローズのエース、阿波野秀幸投手のことだ。 西浦は曲の依頼を受け、試合を思い浮かべながら、当時の朝日放送社屋から大阪・梅田方面へ向かうシャトルバスの中で、サビの部分とメロディーを一気に思い浮かべた。後にその曲は「ファイナルゲーム」というタイトルで完成し、依頼したプロデューサーの心を打った。 そして「この曲のタイトルはファイナルゲームじゃなくて、『瞬間(とき)』にしよう」という話しになり、1990年の全国高校野球選手権大会中継エンディングテーマ曲に起用された。1991年にはシングルリリースされ、5年にわたりエンディングテーマ曲に使われたため、記憶に残る人も多いかもしれない。この話を聞けば、歌詞がずいぶん秋めいている理由もわかる気がする。