移民キャラバンと日本文化の微妙な関係──外国人政策にどう影響するのか
風向きが変わってきた難民対応
先に、自爆テロ、サイバー戦争、経済制裁の三つを「新しい戦争」と書いた(『「一対三の冷戦」と「三つの新戦争」の時代―日本は何ができるのか』)。近年急増した「国境を越える難民移民」をこれに加えることはできないが、新しい戦争現象と考えることはできよう。なぜこうした現象が顕在化したのか。 西欧列強によって植民地化されていた国のほとんどは、第二次世界大戦後しばらくしてから独立した。しかし自前の国家建設が容易でないことはいうまでもなく、宗主国が強制した帝国主義的資本主義の論理に対して、社会主義という選択をするのも、イデオロギーの力学的必然であろう。 米ソ冷戦下では、ほとんどの国がどちらかの陣営に属する選択を迫られたのだが、その内部には反対陣営の力がマグマのようにうごめいて、場合によっては革命、反革命といった内戦を繰り返したのだ。 資本主義側にはアメリカの支援が入り、社会主義側にはソビエトの支援が入る。地域による地政学的な違いもある。東南アジアの社会主義勢力には中国の支援があり、資本主義国にはアメリカの肩代わりとしての日本の援助もあった。東欧はソビエトの影響が圧倒的で、中南米はアメリカの影響が圧倒的であった。イスラム圏はイデオロギーより宗教で、基本的に反米であるが、親米国もある。 こういった冷戦構造下において、紛争によって生じる難民は、その国内、隣国、あるいは同じ宗教や左右両陣営の枠組みの内部で抑えられていたのである。 しかしベルリンの壁崩壊以後、世界中が資本主義のマーケットに参入し、ロシアも、中国も、東欧も、イスラム各国も、中南米も、それぞれにグローバル資本主義の競争に直面せざるを得なくなった。左右両陣営の枠組みが溶解したあとの宗教紛争、民族紛争、国境紛争、あるいは飢餓や疫病の結果としての難民、もしくはよりよい仕事を求める移民は、多少距離があっても、平和で豊かで安定した先進国に押し寄せる。この冷戦以後の「難民移民の大波」に対して、国連は「人権」という視点で対処してきた。 しかしながらこのところ風向きが変わってきたのだ。 一時的で少数の困った人を助けるのは人間として当然の行為であるが、長期的で多数の困った人、となると話が違ってくる。テロや犯罪の増加可能性も含め、負担が大きくなるからだ。国家というものは、なんといっても国民の生活を第一に動くもので、先進各国のリーダーが自国第一主義を掲げて国民の支持を得ようとすることを、一概にポピュリズムと批判することもできないのである。曲がりなりにもトランプ政権は続き、メルケルは引退を表明せざるをえなかった。