「前澤氏の新大会」「ISPS半田会長との関係」「PGAツアーの強引さ」「4試合減の危機」… JGTO諸星会長がすべて語った!
まともな引継ぎもないまま手渡された采配
前政権から残されたのは、負の遺産ばかりだった……。今年の3月19日、日本ゴルフツアー機構(JGTO)は8年間続いた青木功政権がようやく終わりを告げ、諸星裕新政権が誕生。しかし、いざスタートしようとした時、その前には難問の数々がうずたかく積まれていた。引き継ぎ作業もないままに出航した「諸星丸」に何が起きていたのか。驚きの事実が、いま明かされる。 【写真】バレたら“永久追放”!? これがマスターズで“持ち込み厳禁”の品目です
【諸星裕JGTO会長と一問一答】 ――12月18日の日程発表会見でも「何とか来年も今年の試合数を維持できた」と苦労を感じさせる内容でした。まずは就任1年目を振り返っていただけますか? 諸星(以下同) 初めの半分ぐらいは、やりたいと思っていたこととの違いを探りながら奔走しておりましたね。 ――半分となると、相当な期間ですね。でも諸星会長は1999年の発足時からJGTOに関わり、副会長も務めた経験があるはずですが? でもその後JGTOから離れて、9年間のブランクがありましたから、戻ってみるとまったく変わっていました。その前の14年間副会長をやっていましたが、ほとんど国際関係の仕事でしたので、中(事務方のスタッフ)のこともまったく知らなかった。 ――諸星JGTOスタート初日を振り返っていただけますか? 引継ぎ作業はどのような形だったのですか? 引き継ぎなんて何もなかった(笑)。会見の次の日、ここ(会長室)に部長5人と僕の秘書みたいな人が1人来て、さて「明日から何しようか」という話です。トーナメントスポンサーの名前をズラーっと出して「今日アポを取りますから」と。それからは忙しくて、自分でものを考える暇なんか何にもなかったですね。 ――4月にはマスターズの行われているオーガスタに行かれていましたよね? マスターズに行ってみると、僕のことを覚えている何人かいてくれて、久しぶりに話をしました。その時に言われるのは「どうしたの? 最近日本のことを全然聞かないね」という内容ばかりでした。 ――そのコミュニケーション不足は何が原因なのでしょう? 青木さんだから、各国のトップたちが遠慮したんですかね? そういうことじゃないですね。青木さんが活躍した選手だからだという話よりも、「ゴルフ産業が世界2位なのに、なんとなく勢いがない」とよく言われましたね。やっぱり一番大きかったのは、日本からの発信がなかったってことです。マスターズでも、いろんな会議があるんですけど、そこで黙ってたんでは、とにかくしようがない。 ――確かにこの8年で、あっという間に置いて行かれましたよね。 ゴルフってやっぱり、その国の経済状態に依存するから、経済が悪くなれば厳しくなる。とはいえゴルフインダストリー(産業)としては世界で2位ですから、日本というマーケットはすごく大きく見えている。「日本人はもっと頑張ってよ」っていうメッセージは、皆さんから今年いただきました。 ――海外から戻られてからも、お忙しかったようですね。国内トーナメントも開幕して、最終日の表彰式などもありますし。 3~4カ月はあいさつ回りで忙殺されましたね。今年、僕は65社回りましたから。