「4浪医学部合格」京大諦めた彼が医師目指した訳。ギリギリ惜しいところで落ちる浪人の日々
浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか? また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。 今回は、4浪して名古屋大学医学部に進学。現在は医師として働く傍ら、HERO'ZZ UNIVERSITY.に通う青柳泰史さんにお話を伺いました。 【写真】高校時代の青柳さんと、現在の青柳さん
著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。 ■4浪して名古屋大学医学部へ進学 今回お話を伺った青柳泰史さんは、4浪して、名古屋大学医学部に進学しました。 医師家庭に生まれたことで、医師を目指して多浪する事例は、これまで本連載でもたくさん取り上げてきました。一方で青柳さんは医療とはまったく関係のない、高卒の両親のもとで育ちました。 また青柳さん自身は京都大学を志望していましたが、1浪のときのあることがきっかけで、医学部を目指すことにしました。
彼が4浪してまで、医師を目指したきっかけとは、なんだったのでしょうか。 青柳さんは、福岡県北九州市に生まれました。両親はどちらも高卒で、父親は新日本製鐵株式会社(現:日本製鉄株式会社)の関連会社に勤務し、母親は専業主婦でした。 幼少期は人見知り気味だった青柳さんですが、教育熱心な家庭で育ったこともあり、小学校の頃は習字の習い事と塾に通っていました。 勉強面では、照曜館中学校を受験して見事合格しました。ところが、合格したにもかかわらず、青柳さんは地元の北九州市立南小倉中学校に進みました。
「地元の同級生と3年間一緒に通いたいという理由や、親がお金がないと言っていたような記憶もあります。さまざまな理由で、地元の中学校を選びました」 この当時、特に熱中するものはなかった青柳さんですが、小学生のときから地元にあった全教研に週4回通っていたこともあり、中学校2年生のときには、学年100人前後の中で1位の成績を取ることができました。 高校受験では、先生の方針と、金銭面で私立を避けてほしい親の意向を汲んで、福岡県立小倉高等学校を志望。そのまま合格して入学しました。