「4浪医学部合格」京大諦めた彼が医師目指した訳。ギリギリ惜しいところで落ちる浪人の日々
「私立はラ・サール、久留米大附設・青雲・九州国際大付属を受験しました。ラ・サールと久留米は落ちたのですが、青雲・九州国際大付属には合格しました。九州国際大付属には特待で受かり、授業料も無料だったので、行くかどうか悩みましたね。でも、結局小倉高校に知り合いが何人かいたのでそちらに進むことにしました」 ■小倉高校でも優等生だったが、途中で挫折 北九州市でも有数の進学校、小倉高等学校に入ってからも、青柳さんの成績は優秀でした。
「入ってすぐに受けたテストは9/360番でした。小倉高校だったら、学年20番以内なら東大・京大に受かると言われていたので、東大も狙えるかな? と思いました。進路は悩んだのですが、父親が工業高校の出身で理系だったので、2年生から理系を選びました」 2年生になって理系コースを選択してからは、さらに順位が上がったと語る青柳さん。1番を取りたいと思って勉強をした定期考査では、3/200位を獲得することができました。
しかし、青柳さん自身は「中途半端でした」と当時について反省しています。 「当時、学年で1番・2番を取る人は東大志望でした。めちゃくちゃ勉強しても、その人たちに敵わなくて、『こんなに勉強したのに……』と思ってしまったんです。それで、自分に東大は難しいと思うようになりました」 結局、高校時代の順位は3番が限界だったと語る青柳さん。 「東大に行く人は、(東大に行くことを)ゲームをクリアするように捉えている」と考えた青柳さんは、東大を諦め、父親の仕事と近い京都大学の工学部を志望します。しかし、現役のときは受験勉強を一生懸命頑張っていたものの、模試の判定はE~C判定が限界でした。
朝7時半に学校が始まり、学校が終わったら塾に移動。塾で夜23時半まで勉強をしていた青柳さんは、センター試験では751/900点を記録し、京都大学工学部の地球工学科に出願しました。しかし、この選択は「失敗だった」と後に振り返ります。 「京都大学工学部は、国語・英語・日本史のパーセンテージのみ2次試験に反映されるのですが、私はその3科目の平均が9割だったので、河合塾のセンターリサーチで工学部はA判定でした。地球工学科に出したのは、いちばん合格最低点が低そうだからという理由です。でも、結局この年は不合格でした」