「4浪医学部合格」京大諦めた彼が医師目指した訳。ギリギリ惜しいところで落ちる浪人の日々
2浪目の青柳さんは、成績がよかったために、代々木ゼミナールに年間5万円で通えることになり、代ゼミに移って浪人生活を始めます。 医学部を自分なりに調べた結果、じっくり時間をかけて考えさせてくれる問題で、相性がよかった名古屋大学の医学部を第1志望に設定し、1年間受験生活に励みました。 「国語が苦手だったので、とにかく古文と現代文の対策に時間をかけました。前年よりも勉強時間は落として、朝9時に塾に行って夜21時に切り上げるスケジュールにしました」
勉強以外の時間は、積極的にほかの医学部受験生に話しかけました。クラスが一緒だった4浪の人や、4浪の人に紹介してもらった6浪の人などとコミュニケーションを取り、医学部に行くための情報を収集していました。 この年はセンター試験でも過去最高の795/900点を確保。その前に受けた防衛医科大学校では歯がたたなかったものの、十分に勝負になると思い、前期で名古屋大学医学部、後期で産業医科大学を受験します。しかし、名大は数学で失敗して100点足りずに不合格。産業医科大も、面接で2浪していることを突っ込まれ、落ちてしまいました。こうして青柳さんは、またしても全落ちで3浪目に突入します。
■年上の仲間と受験勉強 代々木ゼミナールの学費が5万円ではなくなったことから、3浪目からは自宅浪人を選択した青柳さん。その一方で、いつも一緒に勉強をしていた仲間がいたことが救いになったそうです。 「代ゼミのときの浪人仲間で、医学部の再受験を目指しているアラフォーの方がいらっしゃいました。その方は時々マクドナルドで勉強していたので、一緒に勉強していました。朝8時ごろに起きて、マックで夜遅くまで勉強できたのも、仲間がいたおかげですね。そうじゃないと宅浪は病んでしまうので」
9月末までロイヤルホストで18時から深夜までアルバイトをして月5万円を稼いだり、図書館に行って勉強のために本を読んだりしていたこともあり、置かれた状況を生かしながら名大医学部の問題を研究していた青柳さん。 3浪目もセンター試験は790/900点と医学部への挑戦権は確保。もうこの年は名古屋大学の医学部しか受けませんでした。 「ここまできたら意地でした。今思えば後期で琉球大、宮崎大の医学部を受ければよかったのですが、もうこの年は名大に受からなかったら働こうと思っていました」