理系志望に「きみは文系脳だ」見抜いた高校の担任 ルネサンス・斎藤敏一会長
共同研究を卒業研究にまとめたら、読んだコッホ氏が母校の大学院へ留学を勧めてくれた。奨学金付きで2年間。いきたいので、入社後に留学を認めてくれる就職先を探す。そんな虫がいい話は難しいが、大日本インキの社長へ話すと「面白い、いってこい」と認めてくれた。 67年4月に入社し、研修を受けた後、5月初めに横浜港から貨物船に乗る。8人部屋で3食付き。マラッカ海峡からスエズ運河を抜け、マルセイユ港まで1カ月余り。マルセイユから鉄道で、チューリッヒに着いた。 大学院は昼休みが2時間で、教授らは自宅へ帰って昼食をとってくるし、単身者は1時間で食事したら、あとの1時間はプールへいったり運動をしたり。夕方に帰宅すると、今度はオペラや音楽会を楽しむ。それらに誘われて、まだ仕事をしたことがない時点だったので、そんな生活が当たり前なのだと思う。 ■建築にも哲学にも活動を広げた巨匠に人間の可能性を知る ルネサンス文化発祥の地フィレンツェへの小旅行は、フィレンツェから留学していたビオラ奏者が連れていってくれた。高校、大学に続き、いい出会いに恵まれた。美術館などでレオナルド=ダ=ヴィンチやミケランジェロらの作品に触れると同時に、巨匠たちが絵画や彫刻のほかに建築、土木、科学、哲学などへ活動を広げていたことを、知る。「人間には、無限の可能性があるのだ」と頷いた。 幕張の成功後、差別化に多角化を考える。「多角化」は、当時の大日本インキでキーワードだった。幕張のテニスコートを2面やめて、スイミングスクールを新設。ボウリング場の跡地なのでロビーが広く、そこをトレーニングジムとスタジオに変えて、事業を「健康」へも広げた。テニス、水泳、アスレチックの3部門を一本化し、ルネサンスの原型ができていく。 東京・両国でスポーツ施設の入居権を得た新設ビルへ本社を置き、社名をディックルネサンス(現・ルネサンス)へ変更。92年6月に社長へ就任し、株式上場も果たす。08年4月に会長となり、今年5月、株主になっていた競争相手のスポーツ施設の吸収合併も決定。2025年4月に国内の総合型スポーツクラブで、売上高が首位になる。 ただ、この6月に80代へ入って、日々の仕事は後継の経営陣に任せた。「こんなものはどうだい」との助言も、控えめにした。でも、「やりたいこと」はなくならない。『源流』からの流れは、緩やかに続いている。(ジャーナリスト・街風隆雄) ※AERA 2024年12月9日号
街風隆雄