『ロボット・ドリームズ』マンハッタンの片隅で描かれるスウィート・ドリームズ、ビター・ドリームズ ※注!ネタバレ含みます
『ロボット・ドリームズ』あらすじ
※本記事は物語の核心に触れているため、映画をご覧になってから読むことをお勧めします。 大都会ニューヨーク。ひとりぼっちのドッグは、孤独感に押しつぶされそうになっていた。そんな物憂げな夜、ドッグはふと目にしたテレビCMに心を動かされる。数日後、ドッグの元に届けられた大きな箱―― それは友達ロボットだった。セントラルパーク、エンパイアステートビル、クイーンズボロ橋……ニューヨークの名所を巡りながら、深い友情を育んでいくドッグとロボット。ふたりの世界はリズミカルに色づき、輝きを増していく。しかし、夏の終わり、海水浴を楽しんだ帰りにロボットが錆びて動けなくなり、ビーチも翌夏まで閉鎖されてしまう。離れ離れになったドッグとロボットは、再会を心待ちにしながら、それぞれの時を過ごす。やがてまた巡りくる夏。ふたりを待ち受ける結末とは―― 。
80年代ニューヨークの記憶
動物たちが擬人化された、どこかの国のどこかの街。一匹の犬=ドッグが注文書をポストに投函すると、やがてロボットが配達されてくる。バラバラのパーツをIKEAの家具みたいに組み立てて、おともだちロボットの完成。一緒にポップコーンをつくったり、映画を見たり、海水浴に行ったり、楽しい日々が過ぎていく。サラ・バロンによるグラフィック・ノベル「ロボット・ドリームズ」は、そんな風にして物語が始まる。心躍る軽快なタッチで、思わずパラパラと読み進めてしまう。 だがアニメーション版『ロボット・ドリームズ』(23)のオープニングは、お世辞にも軽快とは言い難い。深夜のニューヨーク・マンハッタン。真っ暗な部屋で、たったひとりテレビゲームに興じるドッグ。虚ろな目で番組をザッピング。電子レンジのチンという音が虚空にこだまする。テレビのブラウン管に反射する生気の抜けた表情。『アパートの鍵貸します』(60)のジャック・レモンみたいに、そこには都市生活者の孤独が映し出されている。 やがて、「ARE YOU ALONE?」というロボット通販のテレビCMに惹きつけられるドッグ。さっそく購入し、ロボットを組み立てると、セントラル・パークでローラースケートをしたり、ゴンドラを漕いでのんびりしたりして、グラフィック・ノベルと同じような楽しい日々が描かれていく。「都市生活者の孤独」という前フリが効いているからこそ、ドッグの喜びが何十倍にもなって、観ている我々に響いてくるのだ。そして80年代ニューヨークという舞台が、心のときめきをさらに際立たせてくれる。 この作品の監督を務めたパブロ・ベルヘルは、スペインのビルバオ出身。ニューヨーク大学で映画を学び、卒業後はニューヨークフィルムアカデミーで教鞭を執った。“ビッグアップル”ことニューヨークは、かつて彼が過ごしていた場所だったのだ。 「グローバル化によって各都市の特殊性が失われる前に、もう存在しない別の時代の都市を描きたかった。私が住んでいたころのニューヨークは独特だった。間違いなく文化的にも経済的にも世界の首都であり、そこにいなければならない場所だったんだ」(*1) と、パブロ・ベルヘルは語る。原作の「どこかの国のどこかの街」を、80年代のニューヨークへと移し替えたのは、10年間過ごした思い出の地に対するノスタルジーがあったからだろう。だが、それは単なる郷愁ではない。もともとノスタルジア(nostalgia)という言葉は、「nostos」(帰還)とargos(痛み)というギリシャ語を組み合わせたもの。『ロボット・ドリームズ』には、スウィート・ドリームズを凌駕するくらいに、ビター・ドリームズがパッキングされている。痛みこそがノスタルジーの本質である、と言わんばかりに。