日本人女性初、8,000m峰14座登頂達成│登山家・渡邊直子~山と大切なものと私~
大切にしたいもの
渡邊にとって「山」とは、いったいどういった存在なのだろうか。 「素直な自分に戻れる場所、自分を取り戻せる場所、生活の一部。それが私にとっての山」。 休暇をとって旅に出る、そういった感覚で渡邊はいつも山へ向かう。 「山頂に登ることを目的にする人がほとんどだと思うんですけど、私はそれは二の次で、一番はもう山での生活を楽しむこと。山へは休憩しに行っているんです(笑)」。 山での生活そのものに、さまざまな得るものがある。だから遠征の目的は登頂だけではないという。 「失敗したことのほうがおもしろいんですよ。貴重な経験にもなる。新しい発見、知らない自分を発見したとか、とんでもないエピソードができたとか、そんなことで充実していたら、もう登頂できなくてもいい山だったって思える」。 登頂よりももっと大切なものがある、それを実際に経験してもらいたい。渡邊が企画する旅にも、その思いがしっかりと込められている。 「何回も流産して、もう産めないだろうって思い悩んでいた友人をヒマラヤへ連れていったことがあって、そうしたら妊娠出産した。いろいろなストレスから解放されて、メンタル的にもよかったのだろうなと」。 渡邊が招く山の世界には、普段の生活では味わうことのできない時間と空間、癒しがある。同時に厳しさもあり、生死をかけた極限でのシビアな選択を迫られるときもある。まして8、000mを越えれば、酸素濃度が平地の3分の1というデスゾーン、死の世界が広がっている。 そんな過酷な世界を14カ所も巡ってきた渡邊に、8、000mでの一歩とはどんなものか、と聞いた。 「8、000での一歩……」。 少し考えたすえ、渡邊はきっぱりと言葉を紡いだ。 「普段の生活と一緒。途中の一歩一歩全部おなじで、普段の生活も全部おなじ。8、000mの厳しさと普段の厳しさはなにも変わらない。普段の生活でもピンチが多々あって、一人ひとりみんなそれぞれの壁を日々乗り越えようとしているから」。 予想だにせぬ、示唆に富んだ答えだった。人の営む社会には、いじめやパワハラ、貧困や格差など、不条理な苦悩や理不尽な問題が尽きない。解決するのは、容易なことではない。ただそれでも、既成概念や一般常識といった殻を破って、一歩外側に踏み出してみる。結果、出る杭となって打たれるかもしれない。ときには道を外れることもあるだろう。それでもなお、勇気を持って山でも普段の生活でも次の一歩を踏み出せば、そこに新たな世界が広がっている、新しい発見がきっとある。渡邊はそう信じている。 「いま売れている芸人さんとか、芸能界の人を見ていると、これまでにないことを最初にやる人は、変人と思われたり、周りからたたかれたりする。そこで止まってしまえば終わってしまうけど、這い上がっていく人がいて、天下をとっていく。どんな世界でも同じなのだと思う」。 渡邊の言葉の奥底には、いつもブレることのない確固たる強い意志が潜んでいる。それは、さまざまな逆境や苦悩、困難を乗り超えてきたという経験を裏打ちするものなのかもしれない。とはいえ、そんな渡邊も生身の人。ときには心が折れそうになるという。そんなときはいつも、山での生活が頭をよぎる。 「山はメンタルケアの場所、一度自分をリセットするために必要なもの。子どもたちにもひとりでどんどんヒマラヤに来てもらいたい。疲れてしまった大人たち、山に興味のない人も、それから初心者も」。 そんな思いを胸に、渡邊は我が道を先導し、かつて冒険仲間にしてもらった恩に報いるかのように、多くの人の背中を後押しする。もちろん同時に自身もさらなる高みを目指し、歩み続けている。14座で終わりではない。それはひとつの通過点。 「山は生活に欠かせないものになっちゃった。そのときにしかやれないこと、それをやらなかったら後悔するかもしれない。だからこれからも登り続けていく」。 道から外れることは、わるいことじゃない――だがいま、渡邊が進む道は自ら切り拓くメインストリート。もはや道から外れることはない。 渡邊直子( わたなべ・なおこ) 1981年、福岡県大野城市生まれ。長崎大学水産学部水産学科卒業後、日本赤十字豊田看護大学看護学部看護学科を卒業し、看護師となる。2000年、マルディヒマール(標高5、587m)世界最年少(19歳)登頂。2024 年、日本人女性初となる8、000 峰全14 座登頂達成。これまでの8、000m 峰登山回数は30回に上る。現在、フリーの看護師として働きながら資金を貯め、ダブル・トリプルサミッターも視野に入れ、山の生活の魅力を体現・普及している 。 文◎山本晃市/編集◎ランドネ編集部
ランドネ編集部