リオ五輪出場を決めた女王・吉田が考える4連覇戦略とは?
五輪と世界選手権あわせて世界13連覇を達成した3年前の冬、吉田沙保里(33、ALSOK)は後輩レスラーたちの追い上げについて、どんと構えていようと思っていると語った。そして「ライバルは、いつも一緒に練習している後輩だといいなあ」という願いを付け加えた。その願いは、2015年レスリング全日本選手権の最終日、もっとも身近な後輩のひとり、菅原ひかりと女子55kg級の決勝を戦うことで現実になった。 「中学にあがるとき秋田からわざわざうちの道場にきてくれて、中学生のあいだは私の父がレスリングを教えていました。高校からは至学館なので、ずっと一緒にレスリングをしてきた、かわいい後輩です。こうやって大きな舞台で(菅原)ひかりと試合ができたことはとても幸せです」 現在、大学4年生の菅原ひかりは12歳だった2006年春、単身、秋田から三重県にある吉田の実家で下宿生活を始めた。強くなるには、アテネ五輪金メダリストが育った場所で自分もレスリングをすると決意したからだ。吉田の実家は父の故栄勝さんが教える「一志ジュニアレスリング」というキッズレスリングの道場を兼ねている。家はレスリングマットが敷かれた部屋があり、学校へ行っているとき以外はレスリングに取り組む生活が可能だ。 そんなレスリング漬けの生活は、吉田も今でこそ「自然にレスリングしていたから」と楽しそうに思い返しているが、思春期の頃は他に何もできないと嘆く徹底ぶりだった。それを思えば、自分から希望して飛び込んだとはいえ、まだ中学生だった菅原も心細い思いをしたことだろう。しかし、いつも明るく屈託ない吉田家に囲まれ、レスリングを疎む気持ちは育たなかった。そして至学館高校へ進学すると、さらに吉田自身と練習で接する機会も増え、いまでは吉田の練習パートナーをつとめている。 「ひかりとは、いつも練習をしている相手。お互いに手の内をよく知っている仲なので、試合はやりづらい面もありました。でも、思い切って力を出し切って試合することができた。ひかりも試合ができたことをすごく喜んでくれたので、私もうれしかったです」