春の甲子園直前にまさかの出場辞退…スタンドで号泣 “球界のご意見番”江本孟紀氏が語る成長秘話 法政大時代は野球部なのにフィリピンバンドの運転手!?
センバツ開会式にスタンドで号泣
徳光: センバツには出られなかったけど、みんなで開会式を見に行ったそうですね。 江本: そうなんですよ。ちょうど修学旅行の時期で、学校の子がみんないないわけですよ。 野球部だけぽっかり何の予定もなくなっちゃって。それで、せめて思い出に甲子園の開会式でも見るかと。ところがね、これがダメでしたね。 徳光: どうしてですか。 江本: もう悔しいのなんのって。 四国の1位が高知商業、2位が高松商業、3位が徳島商業なんです。で、4位が愛媛の今治南っていう高校だった。この4位が僕らの代わりに出てきてるわけですよ。高知商は四国で優勝してますから、この連中を蹴散らしてるわけです。 徳光: なるほど。 江本: 入場行進で、高松商業が出てきたときは、みんなで笑ってたんです。「こいつら弱かったなぁ、俺らに11点取られて」とか言って。次が徳島商業で、「ああ、こいつらも弱かったやん」。 そこまでは良かったんですけど、その後に自分らの代わりの学校が出てきたわけですよ。 徳光: ええ、ええ。 江本: それまではヘラヘラしてたんですけど、そのときに人間の心理なんですね、まあ悔しいのなんのってね。今治南が出てきたときは、さすがに…。 徳光: 本来、俺たちはあそこだったと。 江本: そうなんです。そこで気がついたんですよ。それまで「あいつら下手くそやな」とか言って笑ってたんですけど、その瞬間にグワーッてきて、おそらく一生分の涙が出たでしょうね、悔しくて。 徳光: そうですか。 でも、今の話を聞いてると、その経験が後の江本孟紀を作ったっていう感じがしますね。そこからの反骨精神。 江本: はい。そうだと思います。
長嶋氏母校・立教大学へ進学するはずが…
1966年に高校を卒業した江本氏は法政大学に進学した。しかし、実はその前に、長嶋氏の母校である立教大学への進学がいったんは決まっていたという。 江本: 僕は長嶋ファンでしょ。だから、どうやったら長嶋さんのそばへ行けるかっていうのを考えたんですよ。 徳光: なるほど。 江本: 甲子園に行けなかったら神宮の杜だと。で、親父に言ったら、「じゃあ、お前、学校の先生に言って立教のテストを受けさせてもらえ」と言ってくれた。 初めて東京に行って、立教大学のグランド、ブルペンでベーッって投げたら、監督も部長も「君が来てくれるなら素晴らしい」なんて言ってくれて、立教大学はOKだったんですよ。憧れの長嶋の元へ。田舎に帰って自慢しまくりましたね。 徳光: でも、立教大学には来なかったじゃないですか。 江本: 立教大学は何を間違ったか、途中で断りの電話を入れてきたんですよ。 徳光: ええっ。 江本: 12月。立教大で体育会をあんまり優遇しちゃいかんという流れになったんです。 あのころ、学校で赤い旗を振る人たち(学生運動)が増えてきてたじゃないですか。 徳光: すごかったですよね。ちょうど闘争の時代でしたからね。 江本: はい。
【関連記事】
- 【中編】野村克也監督「江夏に見合う大投手はお前しかおらん」も実はサッチーが原因!? 江本孟紀氏が明かす阪神へのトレード裏話 「プロでやれたのは張本勲氏のおかげ」
- 【後編】江本孟紀氏「やっと来られた」涙のセンバツ出場辞退から11年…阪神移籍で因縁の甲子園が本拠地に 巨人戦ではベンチにいる憧れの長嶋氏を見ながら投げた!?
- “絶好調男”巨人・中畑清氏を震え上がらせた江夏豊氏のひと言とは!? 「ファンの思いがひとつになった」現役最後の日の日本シリーズ代打ホームラン
- 原辰徳氏の入部で練習環境が一変…“元祖ハマのエース” 遠藤一彦氏・横浜大洋ホエールズのレジェンドが語った東海大野球部裏話 忘れられない巨人・江川卓氏に投げ勝った日
- “長嶋ボール”は本当にあった!? ヤクルトのレジェンド名捕手・大矢明彦氏が明かしたON秘話 「憧れの王氏がいた早実野球部に入るため」キャッチャーになった