春の甲子園直前にまさかの出場辞退…スタンドで号泣 “球界のご意見番”江本孟紀氏が語る成長秘話 法政大時代は野球部なのにフィリピンバンドの運転手!?
甲子園を夢見て…高知商業「エースで4番」
長嶋氏に憧れる野球少年だった江本氏は、甲子園を目指して高知商業高校に入学する。 江本: 僕が志したのは甲子園に行って、プロ野球から認められて、長嶋茂雄のもとへ行こうっていうのがあったの。それで、甲子園に行きやすい学校が高知商業。 徳光: じゃあプロ野球選手になりたいという憧れは、高知商業時代からあったんですね。 それはピッチャーとしてですか。 江本: 1年のときからピッチャー。2年生の夏の大会まではピッチャーで9番でした。その後、新チームができて新しい監督が来て、「お前はピッチャーで4番だ」って言われました。 徳光: バッティングも結構良かったんですね。 江本: 私は実はバッティングのほうが良かったんですよ。ホームランをパカパカ打ってましたし。
直前に出場辞退…幻のセンバツ
高知商業は1964年秋の四国大会で優勝し翌年春の選抜高校野球出場校に選ばれたものの、大会直前に発覚した部員の不祥事によって出場辞退を余儀なくされた。1年間の対外試合禁止処分を受け、夏の大会も参加できなかった。 江本: 新チームで、ピッチャーで4番になってから破竹の勢いで20何連勝。秋の四国大会でも優勝して、翌年2月1日に春の甲子園に選ばれた。もう天下ですよね。街の中を肩で風切って歩いてた。 江本: それで、甲子園が始まる3週間くらい前だったですかね。3月に入って、みんなで喫茶店でテレビを見てたら、ちょうどNHKのニュースで、どこかの高校が暴力事件を起こして出場辞退っていうのが出たんですよ。 徳光: はあ。 江本: みんなで笑ってたんですよ。「バカなヤツいるな、今ごろ」って言って。よく見ると字幕に「高知商業」って出てたんですよ。 それで、鬼の高野連から1年間対外試合一切禁止。 徳光: そうなんだ。厳しい時代でしたからね。 江本: 厳しかったですね。 試合ができないんだから練習をしたって意味がないじゃないですか。だから、練習も辞めて、それで終わりました。
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