日本復活に「経済政策」は不要どころか、逆効果だ
第2に、今述べたように、リスキリングは、自発的にやるものであり、それは自分で何が必要か見つけてやるものであり、やる気があれば、自然と自分でわかるし、やっている。つまり、リスキリングに必要なのは、政府の支援でも雇用主の支援でもなく、本人のやる気であり、それがすべてなのである。 第3に、汎用性の高い「学び」のための支援は、企業で働きながら外部の研修を受けたり、学校に通ったりすることを企業の負担(支援)でやる枠組みで、そのコストを政策的に負担するというというパターンであるが、これは駄目である。
小泉進次郎氏が自民党総裁選挙で解雇規制について提唱していたが、解雇する被雇用者に対して、企業がリスキリングを支援するようにさせる、というのは、これこそ最悪の枠組みである。 どうしてこれからクビにする従業員に、素晴らしい人的資本を蓄積するような支援を、雇い主がするであろうか。それなら、クビにする前にしているし、そもそもクビにしない。政府の金(カネ)でテキトーなアリバイ作りのリスキリングをするだけである。役に立つリスキリング支援は現状の日本の政策の考え方では、ほぼ現実的には存在しえない。
最後に、長期的な経済成長戦略として、多くの人が想定しているのは労働力の増加である。これを政治家に聞けば「少子化対策」「移民政策」だと言うだろう。しかし、これでは最悪であり、むしろ害悪である。なぜなら、少子化問題、移民問題は、経済のための手段として捉えては絶対ダメだからだ。 経済の問題ではなく、社会の問題だからである。どのような社会を作るか、その理念のもとに行うべきことであり、社会の基盤をどうするか、経済に関して関係するとすれば、経済を支える基盤としてどのような社会にするか、という問題なのである。社会というインフラ、その社会のインフラをどうするか、それが少子化問題、移民問題なのである。
このように見てくれば、失われた30年と言われる1995年から現在まで、政府の経済政策が効果を上げなかったのは当然だったのである。やり方が間違っている、あるいは、やっていることを単にアピールだけするために、短期の経済政策規模を何十兆円と膨らませたり、現金をバラまいたりと、経済発展をそもそも目的としてない政策ばかりを行ってきただけなのである。 では、どうしたらいいのか。短期の需要サイドも中期の供給サイドも政府の出番ではもはやなくなっている。民間セクターに任せるのがベストなのだ。