【新春ビッグ対談】連載33年格闘漫画「刃牙」シリーズ板垣恵介×大宅賞作家・増田俊也
漫画家の仕事を頑張れてきたのは、習志野第1空挺団での理不尽があったから(板垣)
板垣 ひとつ言えるのは、俺を大人にしてくれたのは理不尽だった。自衛隊なんか理不尽しかない。命令と了解しかない世界。俺が所属した習志野の第1空挺団には「20万歩を2夜3日で……」というとんでもない訓練が毎年あった。真夏の2夜3日、30キロの装備を身につけて100キロを行軍する。あれほどの理不尽、修羅場はなかったよ。 増田 でも、それで得たものはある。 板垣 もちろん。 増田 北海道大学柔道部を舞台にした「七帝柔道記」シリーズで僕が書いている当時の柔道の凄絶な練習内容に「どうしてこんな理不尽な練習してたんですか?」って読者に驚かれる。でも当時は北大の練習も過酷だったけど、トップクラスの柔道部へ出稽古へ行くとあのような練習が普通だった。 板垣 北海道警の特練への出稽古とかだね。何度も連続して絞め落とされたり、顔面殴られたり、剣道場の板敷きや玄関のコンクリート土間まで引きずられて投げられたりする。 増田 そう。こっちは大学生なのに本当に涙流して泣きましたからね。当時、警察の特練といえば日本中の一流選手からさらに選りすぐったスーパートップの柔道家たちだったんです。彼らとのめちゃくちゃな乱取り──ボクシングでいういわゆるスパーリングで、毎回ゴミ扱いされてボコボコにされた。自尊心も何もかもぶっ壊されて。でもあの経験が社会に出てからの底力になってます。 板垣 そんな経験は自分からは絶対にやらないからね。 増田 でも板垣さんの所属した第1空挺団は自衛隊のなかでも精鋭無比をうたわれる最強部隊だから、訓練も日本一の過酷さだったとよくお話しされます。人間の限界を経験したと。 板垣 一番つらかったのは、さっき言った2夜3日の100キロ行軍の1回目。あれ以上の苦しみ、つらさを、あれ以後の人生で感じたことはない。だからこそ漫画家の過酷な仕事も頑張れてきた。どんなピンチでも「あの訓練を思えば」と乗り越えることができた。 増田 仕事がどんなに泥沼状態になっても走破する自信になったと。そういえば板垣さんは東日本大震災の時に取材を受けて……。 板垣 うん。被災者に向けたメッセージを求められた。俺は「せっかくこんな理不尽な目に遭ったんだから、絶対にそれをくぐり抜けなけりゃ得られないものこそを手にして欲しい!」と言った。外から見てるから言えるんだと批判されると思ったけど、自分がその環境にいたら絶対にそうしている。これは、ライターさんが落涙しながら書いてくれた。今の若い人に伝えられる言葉があるとしたら、同じことを言いたい。 増田 熱いけれど優しいその心が読者の心を惹き付けるんですね。 ◇ ◇ ◇ ▽増田俊也(ますだ・としなり) 1965年、愛知県生まれ。小説家。2006年「シャトゥーン ヒグマの森」で「このミス」大賞優秀賞を受賞しデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一ノンフィクション賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。現在、名古屋芸術大学芸術学部客員教授。 ▽板垣恵介(いたがき・けいすけ) 1957年、北海道生まれ。高校卒業後、19歳で陸上自衛隊に入隊し、習志野第1空挺団に5年間所属。除隊後、89年に「メイキャッパー」で漫画家デビュー。91年から週刊少年チャンピオンで連載している「刃牙」シリーズが累計1億部を突破した。現在も第6部の「刃牙らへん」が好評連載中。