マルコ・ベロッキオ監督インタビュー「テーマが同じでも、視点を変える映画作り」の真髄『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』
1978年3月16日午前9時。「キリスト教民主党」党首で元首相のアルド・モーロは、ローマ市内の自宅から議会へ向けて車で出発した。この日、モーロが根回しを行っていた「イタリア共産党」との連立政権が樹立することになっていた。 モーロが乗った車にはボディガード2名も同乗し、その後ろには警官3名が乗った警護車も続いた。9時15分、近道をするために高級住宅街を通り抜けたところ、黒塗りの車が進路を妨害し、接触。それと同時に待機していたと見られるもう一台の車から空軍兵士の制服を着た男たちが数人降り立ち、機関銃を乱射。たちまちのうちに5人の護衛を殺害し、モーロを誘拐した。犯行は、イタリアの極左テロ組織「赤い旅団」によるものだった。やがて監禁中のモーロの写真がマスコミに送られ、さらには逮捕されたメンバーの釈放が要求されるが、政府は応じなかった。こうしてモーロ誘拐事件は、犯人の痕跡すら掴めないまま時間が過ぎていった。そして、5月9日午後1時すぎ、ローマ都心で55日ぶりにモーロは姿を現した――。 イタリアに今も暗い影を落とす「モーロ事件」は、これまでも様々な視点から繰り返し映画化されてきた。『ポケットの中の握り拳』(1965)、『シチリアーノ 裏切りの美学』(2019)、『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』(2023)などで知られるイタリア映画の巨匠、マルコ・ベロッキオも、独自のスタイルで「モーロ事件」を映画にしてきた。『夜よ、こんにちは』(2003)では、「赤い旅団」側から事件を描き、部屋の〈内側〉で何が行われていたかを、史実と映画的な創造の飛躍によって描いた。 それから20年、再びベロッキオは『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』で「モーロ事件」に挑んだ。それも、モーロ自身はもちろんのこと、妻、子どもたち、政府首脳、法王、神父、警官――事件に関わったあらゆる人々の視点から事件を見つめ、時にはユーモアを交えながら虚と実を交差させる5時間40分の傑作として完成させた。 ・・・ モーロ事件と「赤い旅団」 ――『夜の外側』は、5時間40分もの大長編です。私は一挙上映(注:劇場では前後編に分けての上映)で観たのですが、人生の中でも指折りの映画体験になったと思いました。 それは良かった。嬉しいですね。 ――『夜の外側』には、観る前から大きな期待を持っていました。というのも、2003年に監督された『夜よ、こんにちは』に大変感銘を受けたからです。「赤い旅団」のメンバーである女性を主人公に、誘拐監禁されたモーロ元首相との閉じられた世界が描かれ、史実と映画的な想像力が絶妙に交差する傑作でした。 2003年がアルド・モーロ事件から、ちょうど25周年だったんですね。そこでRai Cinema(1998年設立の映画製作会社)から映画を作ってくれないかというオファーがありました。私の裁量で、この事件を自由に描かせてほしいという条件を出して作ったのが、『夜よ、こんにちは』です。 ――その前にも、ドキュメンタリー『Sogni infranti』(1995)で、「赤い旅団」の元メンバーにインタビューされていますね。 あのドキュメンタリーは、実際に極左の人物たちにインタビューを重ねた作品でした。例えば、「赤い旅団」に近しい人物や、それからアルド・ブランディラリという人にインタビューをしました。彼はイタリア共産党の指導者でしたが、現在ではすごく敬虔なカトリック信者になっているという後日談があります。