マルコ・ベロッキオ監督インタビュー「テーマが同じでも、視点を変える映画作り」の真髄『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』
私はなぜテロリズムの映画を作り続けるのか
――モーロ事件に関係するものだけではなく、監督の作品にはテロリズムが大きな要素として存在していますね。 そうです。私はテロリズムについて繰り返し映画を作り続けて主題にしています。『肉体の悪魔』(1986)という作品では、主人公はテロリストと婚約していたのですが、最終的には結婚しないという選択が描かれています。長い時間をかけて、テロリズムに関していろいろな形で作品を作ってきたわけですが、私自身がテロリストだったことはありません。映画界にはそういう人もいるのですが、私にはそうした経験は全くない。 ――テロリズムに惹かれる理由はなんでしょうか? テロリズムが、イタリアの政治において重要な選択に大きな影響を与え続けてきたという事実と、それが時代を経て消滅していったという歴史があるわけですね。それから個人的に極左だったという政治的信条も理由に含まれていると思う。日本でもあの時代に政治的な信念を表明する手段としてテロリズムがあったと思いますが、イタリアではそれがとても顕著だった。 ――『夜の外側』では、事件に関わるあらゆる階層の人々を分け隔てなく描いており、その複眼の視点を感動的に見ていました。 2018年はちょうど、モーロ事件から40年にあたりました。そこで同じテーマを別のバージョンで描こうということで、この映画に着手しました。いつも私は外側からテロリズムを眺めてきたので、今回はモーロ事件を〈外側〉から見るという形で作ることにしました。
1枚の写真が5時間40分の映画に
――『夜よ、こんにちは』は、35mmで撮影され、1時間45分という昔ながらの映画の標準的な上映時間でした。一方、5時間40分の『夜の外側』はデジタルで撮影され、前後編で劇場公開された後に、国営放送(RAI)で全6話のTVシリーズとしてオンエア後、イタリアではNetflixで配信もされるという配信時代に相応しい作りになっています。〈映画と配信〉が対立的に語られることもありましたが、監督は1960年代のデビュー以来、映画・TVとの関係も含め、柔軟に映画の変化に対応しているように思えます。 同じことは繰り返さない。テーマが同じであったとしても、フォーマットは変える。もしくは視点を変えるという形で映画を作り続けていきたいと思っています。ですから今回は、自分の作品作りの信条にもかなっていると思ったわけです。 ――新たにモーロ事件を描くにあたって、例えば『JFK』(1991)のオリバー・ストーン監督が、新たな資料をもとに『JFK/新証言 知られざる陰謀【劇場版】』(2021)を作ったのとは全く視点が違いますね。監督のステートメントには、新聞に掲載されたビーチで家族と過ごすモーロ元首相の写真に言及されていましたが、その写真を実際に見てみると、実にドラマチックでした。この1枚の写真からイマジネーションが広がり続けて340分の『夜の外側』になったのではないかと思いましたが? その通りです。この映画を作るきっかけは、新しい資料が公開されたからとか、新しい真実が明らかになったから、ということではないんですね。本当に1枚の写真が、彼の人となりを表していると思ったんです。たぶん朝だと思いますが、子どもたちが水着で浜辺に集っている真ん中に、ネクタイをしてスーツを着た彼がいました。その姿が彼自身をとてもよく体現していると思ったんですね。つまり、すごく端正な人物であると同時に、彼は政治においても、複雑に対立している両極を説得するダイナミズムを持った政治家であったということを、この写真は象徴していると思ったんです。その写真はローマ近郊の浜辺で撮られているのですが、奥さんとパラソルの下にいる写真とか、いろいろ海辺の写真は多いんですけれども、いつもスーツを着ているんですね(笑)。そこがまさに彼の人となり、アイデンティティを示しているんじゃないかと思ったわけです。 ――アルド・モーロという人物をどう捉えていますか? 彼こそが真の意味で改革者だったと思います。彼と敵対していた勢力には、彼こそが保守派の先頭だと思われていた節があるのですが。実際、カトリック教会に近い存在でもあり、思想的にも保守に近いところはあった。しかし、戦後唯一、イタリアの政治家の中で膠着状態を打破しようと努めた人物でもあるんです。共産党を政権に取り込もうとした唯一の政治家でした。ただ、世界の状況が彼の〈歴史的妥協〉を許さなかった。彼の一番の敵はアメリカであり、ロシアでした。彼が思ったような方法では改革を実現することができなかった。それがこの映画で描いた私のモーロ像です。