マルコ・ベロッキオ監督インタビュー「テーマが同じでも、視点を変える映画作り」の真髄『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』
史実とフィクションを映画的に創造する
――映画の冒頭、モーロが「赤い旅団」から解放されて病院へ収容されたところから始まります。われわれが知る歴史とは全く異なる世界から始まるだけに、これから何が描かれるのだろうと興奮しました。 史実としては、彼は殺害されたわけですが、彼の死後に発見された5つの手紙をもとにオープニングを作っています。その手紙の中で彼は「赤い旅団」に感謝しているんです。解放してくれたことを感謝すると。この手紙は、監禁されていた間に、もしかしたら、「赤い旅団」がそう告げたから書いたのかもしれないし、彼自身が解放の日が来るのを感じ取って書いた手紙かもしれない。事実としては、その反対のことが起こったわけですが。脚本家と脚本を練っている段階で、この手紙を映画的な創造のスタート地点にしようと思ったわけです。 ――『夜よ、こんにちは』もそうでしたが、『夜の外側』も現実と虚構の配分が絶妙です。 一瞬、「史実が曲げられている」とか、「真実が曲げられているんじゃないか?」という事実に対する裏切りが冒頭であるわけですね。そこから始まって、悲劇に向かってドラマが進行していくわけです。
テロリズムをめぐる強硬路線と超法規的措置
――モーロ事件が起きた前年には、日本赤軍がハイジャックを行ったダッカ事件で、日本政府は多額の身代金を支払い、収監中の囚人が超法規的措置で釈放されました。モーロ元首相の殺害を報じた日本の新聞には「“超法規”を認めず」という見出しもありました。それだけに、当時を知る日本の観客にとっても、本作を興味深く観ることができると思います。 日本赤軍の話は全く知らなかったので、今聞いてとても興味を持ちました。イタリア政府は、モーロが解放される可能性があったにもかかわらず、妥協して身代金を払うことは「赤い旅団」を認めることになると強硬路線を貫いたわけですね。それはイタリア共産党もそうですし、モーロが属していたキリスト教民主党も同じ考えでした。ある意味で彼が殺されざるを得ないような状況を作り出していたわけです。と同時に、イタリアの社会では、身代金を払ってもいいから彼を解放しろという社会運動がどんどん広がっていったんです。それは国家としては認められなかった。 ――劇中、バチカンの教皇バウロ6世が身代金200億リラを用意するエピソードがありますね。 現金をものすごく用意して、彼の身代金に充てようと実際にしていたんです。でも、結局は現金を渡して交渉することができなかったんですね。彼が生きている時点で、彼を殉教者にせざるを得ない状況があったんだと思います。日本政府が身代金を払ったという話がありましたが、人質は解放されたんですか? ――はい。首相の福田赳夫(当時)は「一人の生命は地球より重い」と要求に全て応じました。 当時、ドイツでも同じような状況が起こり、そこでも強硬路線をとって多数の死者が出たと記憶しています。私にとって、モーロ事件の傷跡はとても大きく残っています。カトリックの精神と、モーロの死が全く結びつかなかった。政治勢力も妥協するんじゃないかと思っていた。それが死という形で終わったことに、とてもショックを受けました。 ――『夜よ、こんにちは』を観たときは、今の日本では当時のイタリアの政治状況を想像するのは難しいと感じていました。それから20数年が経過すると、モーロのような2度にわたって首相経験があり、最も長い在籍期間を持つ元首相が悲劇的な最期を迎えたり、共産党を取り込もうとして自分の属する党からも反発されるという状況は、近年の日本の政治状況に重ねることが出来るようになりました。『夜の外側』は日本の観客にも実感を伴って受け入れられると思います。 そうなってくれると嬉しい。残念ながら今回は日本に行けませんが、人生でもう一回、日本に行きたいと思っています。
取材・文/吉田伊知郎