鹿島アントラーズ歴代最高助っ人は? 出場試合数ランキング1~10位。クラブの歴史を築き上げた外国籍選手たち
5位:ジョルジーニョ (ブラジル)
生年月日:1964年8月17日 Jリーグ通算出場数:103試合 在籍時期:1995-98 ジョルジーニョは、ブラジルの名門フラメンゴで活躍したあとヨーロッパへ渡り、ドイツのレバークーゼンとバイエルン・ミュンヘンでも中心選手として力を発揮した。1987年にデビューしたブラジル代表でも不動の地位を築き、1994年にはFIFAワールドカップ(W杯)優勝を経験している。そんな世界のトップを経験した選手が、1995年に鹿島アントラーズに加入した。 30歳を過ぎて日本にやってきたジョルジーニョは、Jリーグで加入直後から他を圧倒する世界レベルのパフォーマンスを見せた。右サイドバックとして起用されれば、サイドを駆け上がって正確なクロスを送り、ボランチで起用されれば、フィジカルを活かしたボールキープと正確なパスでチャンスの起点となっている。現代のサッカー界における偽サイドバックの役割を、1990年代に自然にこなしていたような選手で、鹿島がJリーグ初優勝を成し遂げた1996シーズンは、年間最優秀選手賞を受賞している。 1997シーズンの鹿島は、Jリーグ・ファーストステージで優勝したほか、ヤマザキナビスコカップ(現・YBCルヴァンカップ)でも優勝した。この大会でジョルジーニョは7得点を決め、大会MVPを受賞した。 1999年にブラジルに帰国したジョルジーニョは、2002年に現役を引退したあと、2012年に監督として鹿島に復帰。監督としては鹿島をナビスコカップ優勝に導き、1年で退任した。
4位:クォン・スンテ(韓国)
生年月日:1984年9月11日 Jリーグ通算出場数:108試合 在籍時期:2017-23 2023シーズンで現役を引退したクォン・スンテは、鹿島アントラーズのファンに愛されたGKだ。2017シーズンからの7年間で、リーグ戦108試合に出場した。 韓国の全北現代モータースからやってきたクォン・スンテは、鹿島にとってクラブ史上初の外国人GKだった。鋭い反応でチームを何度も救い、2018年にはクラブ史上初のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)優勝に貢献している。 ただ、加入当初から常にレギュラーだったわけではなく、曽ヶ端準、沖悠哉、早川友基らとポジション争いは続き、控えに回ることも多かった。それでもファンから信頼を集めたのは、人間性によるところも大いにあるだろう。常にプロ意識が高く、行動は模範的で、チームの気の緩みを察知すると、誰よりも早く大声を出して鼓舞していた。 今季最終戦後の引退セレモニーでは、家族が登場した際に号泣していた。家族の登場は鹿島の配慮によるサプライズで、クォン・スンテは当初断っていたという。引退会見で同選手は、「家族は行きたいと言ってくれたが、その日の主役はチームであり、鹿島が輝かないといけない日だと思った。だから、家族には来なくていいと伝えました」(クラブ公式YouTubeより)と説明。最後の日までクラブを優先する姿勢は、より一層ファンの心をつかんだ。