アントニオ猪木とハルク・ホーガンがIWGP王座を懸けて最後の遺恨対決【週刊プロレス昔話】
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アントニオ猪木は1983年6月2日、第1回IWGP決勝戦でハルク・ホーガンのアックボンバーを浴びて衝撃の舌出し失神KO負け。1年後の84年6月14日、第2回IWGP決勝でホーガンにリングアウト勝ちしたものの、長州力乱入による不透明決着のため暴動騒ぎに発展した。3度目の遺恨対決となる85年6月13日(名古屋)の一騎打ちは、第3回IWGP優勝を果たして「IWGPヘビー級王者」となった猪木と、挑戦者ホーガンのIWGPヘビー級選手権として実現した。 猪木はゴング前から延髄斬りで奇襲をかけるなど並々ならぬ闘志を見せ、一進一退の展開の末、場外で起死回生の延髄斬りを見舞ってリングアウト勝ち。ピンフォール決着とはならなかったが、遺恨対決に一応のケリをつけ、IWGPベルトを腰に巻いた。この後、ホーガンが所属するWWFと新日本プロレスの11年に及ぶ蜜月関係が切れたため、この一戦が猪木とホーガンのラストマッチとなった。
週刊プロレス編集部