「裸になれば受け入れてもらえる」“20代のすべて”を風俗業に捧げたシングルマザーが、過去を隠さず“天職”に出会うまで
風俗店と知らずに面接、そのまま仕事に
それが西川口のピンサロだった。裸同然のかっこうで男性にサービスするのだが、「裸になれば受け入れてもらえる」という彼女の希望は打ち砕かれた。初心者の彼女は「下手だ」と客になじられる。挫折して辞めたが、時間とお金のことを考えると同じような仕事に就くしかなかった。その後は風俗店を転々とする。 「渋谷のピンサロにいたとき、お客さんが吉原の存在を教えてくれたんです。『そんなところに行ったらこの世の終わり』とも言っていた。でも私は人生を終わりにしたかった。だから翌週には面接を受けに行きました」 世の中にも人にもなじめない。子どものころ、生きづらくて、虫刺され用のキンカンを一気飲みして苦しんだこともあった。死にたくても死ねない。生きることもできない。そんな苦悩の中を、なんとか日々、動いている。大人になってもそんな状態は続いていた。
日本三大名店と誉れのソープで3年
21歳のとき、吉原の「素人専門」が売りのソープランドで働き始めた。驚いたのは店が女の子たちを「お姫様」扱いするところだった。 「店長による講習があって、それが終わって部屋を出ると廊下に並んでいたボーイさんたちが拍手してくれて。そのときの私には、なんていいところなんだろうと」 結局、出たり入ったりしながら吉原や川崎堀之内のソープで仕事を続けた。美術の専門学校には6年いたが、それが仕事にはつながらなかった。他にできることはなく、いったん外に出てもまた舞い戻るしかなかったのだ。 「それでも何かしらの意地があったんでしょうか。最後は日本三大名店といわれるソープの面接を受けて、そこで3年働きました。接客してお金をいただくということは受け入れられたということなんだと思えるようにもなっていた。ただ、指名をとっていかないといけない厳しい店でした。毎月、ベスト10に入っていないと首になるかもしれないと、いつも戦々恐々としていましたね」 だんだん体がきつくなっていく。メンタル的にもつらかった。風俗は、当時の彼女にとっては「人には言えない恥ずかしい仕事」だった。人に言えない分、孤独になっていく。どうしたら陽の当たる場所で普通に働けるのか。そればかり考えていた。