両腕で歩くミャンマーの牧師と合気道開祖の「最後の内弟子」Vol.3
まさに「地獄」の様相を呈している――2021年に発生した軍部によるクーデター以降、ミャンマーでは軍事政権の国軍(ミャンマー軍)と、軍事組織としてのKNLAを有するKNU(カレン民族同盟)やカチン州、シャン州、カヤ州などの武装勢力が組織した反政府(反軍事政権)の連合的武装組織PDFの戦闘が激化している。今年に入り、軍事政権はついに18歳以上の国民を徴兵するとまで発表した。 2024年現在、ミャンマーに向けられる視線は「反民主的な軍事政権VS民主化を求めるレジスタンス的武装勢力」の構図一色に塗りつぶされているが、はたしてクーデターが発生する前のミャンマー、そのディテールに目を向けていた者がどれほどいただろうか。 本連載は、今では顧みられることもなくなったいくつかの出来事と、ふたつの腕で身体を引きずるように歩くカレン族の牧師を支えた日本人武道家を紹介するささやかな記録である。
UNキャンプ
彼らは知り合いから教えられたタイ側の難民キャンプを目指した。違法な国境越えには、昔から手配師と運び屋がいる。彼らが難民志願者を集め、金を取り、そしてタイ側へ運ぶ。難民キャンプまで連れて行くのではなく、かなり手前で下ろし、難民たちに汗をかかせる。 ただの比喩ではなく、国境を越えた後の山越えの最中に熱帯性マラリアに冒されて命を落とす者は少なくない。また、強盗に豹変して身ぐるみはがす運び屋や、若い女性を売り飛ばす手配師もいる。 幸いにも彼らは無事に越境し、厳しい山越えをすることなく、タイ側へ着いたという。その先にあったのは、タイの内務省が承認する「UNキャンプ」(国連難民高等弁務官事務所/UNHCRが管理する難民キャンプ)ではなく、ある「人道支援団体」が独自に運営する、いわば私設の難民キャンプだった。 「難民キャンプには、病院や学校がありました。私が事情を説明すると、イギリス人は妻を無料で病院へ入れてくれました。私は農作業を手伝う日払いの仕事を見つけ、キャンプの外でクロエと一緒に暮らすことにしました」 暮らすといっても、どこで暮らしたのか。 「農作業を手伝っている間は、雇い主が持っている雑居小屋で寝起きできます。収入は一日、100バーツ(約350円)でした。しばらくすると、イギリス人が『クロエを学校に通わせることができる』と言いました」 学校に通わせることができる。それ自体は悪くない。 「クロエを〈教会の寮〉へ入れれば、生活費はかからないし、学校へも行ける」 イギリス人はそう言ったらしい。世界各地に人員と資金を送り込み、難民支援に邁進するこの「人道支援団体」は、キリスト教プロテスタントの中で、どちらかといえば異端と目される教団を母体としていた。 そして、この教団の教義は、クロエの家族がこれまで身に着けてきた信仰の様式とはずいぶん異なっていた。しかし、クロエを無料で養ってもらうためには、彼女を教団の寮に入れなければならない。そんなわけで9歳のクロエは宗旨替えを求められ、教団の信者になった。 それから4年を過ごす中で、クロエは別の団体の〈イギリス人〉と知り合った。教団から逃げて、現在も暮らす〈イギリス人の組織〉が支配する共同体に入ったが、実際には、そこもまた別の宗教団体が母体となった場所なのであった。