両腕で歩くミャンマーの牧師と合気道開祖の「最後の内弟子」Vol.3
〈000〉か〈0〉
クロエは、ミャンマーで生まれたカレン族だが、法の上での立場は「無国籍者」である。ミャンマーでは新生児が生まれたとき、両親が「家族構成一覧表」を更新し、子供の名前を登記することになっている。これが国籍証明のようなものだ。 しかし、この時点では、一覧表の真ん中に設けられた「国民登録IDのナンバー」が空欄になっているので、厳密には国籍証明ではない。家族構成一覧表に名前が記載されている者は、10歳になると「国民登録ID」を作ることができる。これが、いわゆる「国籍証明」となる。 家族構成一覧表には本人写真が付属しないが、国民登録IDには正面写真、指紋、申請時の身長、面相の特徴などが記載される。このピンク色のIDがなければ、彼らはミャンマー国内でさえ自由に移動できず、パスポートも申請できない【*】。 クロエは家族構成一覧表に名前が載っていないため、国民登録IDが作れず、無国籍状態のまま国境を越えて、タイへやってきた。 タイには、不法滞在者に一時的な居住を許可する複数のIDが存在する。中でも、皆が欲しがるのは、13桁の番号の頭が〈00〉から始まるID。これはミャンマーやカンボジアから〈不法にタイへ入国した者〉に、タイ国内での労働を認めるカードである。といっても、無条件で労働が認められるわけではない。このカードを持つ者に許されるのは、〈労働許可証〉の申請だけだ。 〈00〉のカードを持ち、さらに〈労働許可証〉を得た〈不法滞在者〉は、タイ全土ではなく、勤め先の会社が存在する地域の一部にかぎって、移動の自由が認められる。だが、このカードを取得するには、前提として、自分がミャンマー人やカンボジア人であることを証明しなければならないので、パスポートはおろか〈家族構成一覧表〉も〈国民登録ID〉もないクロエが手に入れることは難しい。彼女にも入手できる可能性のあるIDは〈000〉か、〈0〉のどちらか――。 〈000〉は、タイの内務省が承認する難民キャンプに収容されている〈ミャンマー難民〉に与えられるIDで、移動の自由は難民キャンプ内のみ、労働許可証の申請は認められない。 〈0〉は、自分が何者であるのか、そもそもどこの国家に属するのかを証明できない者のためのカードである。難民キャンプの外に出られない〈000〉よりは広い移動の自由を与えられるが、その反面、いわゆる〈難民〉ではないので、〈000〉で得られるようなうなUNHCR、国際NGO等からの支援は受けられず、労働許可証も申請できない。何もしてはならないが、生きていることは許される。〈0〉は、ただそれだけのカードだ。難民キャンプから逃げ出した〈元難民〉の不法就労者や彼らの子供、宗教団体の施設で暮らす子供らの一部は、この〈0〉のカードを持っている。 【*】建前上、パスポートの申請は、ピンクのID以外に〈出生証明書〉を提出すれば可 能だとされているが、〈出生証明書〉を発行できるのは、都市部の特定病院に限られているため、ほとんどが自宅出産である貧困層の者が、証明書を入手することは困難である。 (Vol.4に続く)
Project Logic+山本春樹