森保J長身イケメンFW小川航基はマグレか、それとも実力か…26年W杯最終予選中国戦で2ゴール
2026年北中米W杯最終予選(C組)の11月ラウンドで対戦したインドネシア(15日)、中国(19日)を危なげなく退けた森保ジャパン。5勝1分け(22得点.2失点2)と盤石の強さを見せ付け、最終予選7試合目となる25年3月20日のバーレーン戦(埼スタ)に勝利すれば、過去最速となる8大会連続のW杯本大会出場が決まる。 ❤元なでしこが脱いだっ!❤ 大公開したSEXYショットを見る!!! この11月ラウンドで1トップのチーム内序列を一気にアップしたのが、中国戦で2ゴールを叩き込んだオランダ1部の中堅クラブ、NECでプレーするFW小川航基(27)である。 もともとレギュラー1トップの座は、22年カタールW杯後の第2次森保ジャパンで最多の14得点を稼ぐ、オランダ1部の強豪フェイエノールト所属のFW上田綺世(26)がガッチリと確保していた。 ところが11月ラウンド前に右足太もも裏を痛めて年内の戦列復帰が絶望となり、1トップの2番手だったFW小川に最終予選初先発のチャンスがめぐってきた。サッカー関係者がこう言う。 「1学年上の小川は身長186センチ・体重80キロ。一方の上田は182センチ・76キロ。2人とも恵まれたフィジカルを生かして相手ゴール前でボールを収め、攻撃の起点となるポストプレーが持ち味。左右両足で強烈なシュートを放てるし、上背があるのでヘディングシュートも得意としている。好敵手と言っていい2人だが、小川が伸び悩んでいる間に上田が結果を残し、1番手の上田と2番手の小川との間には、大きな隔たりがあった」 高校時代に名前が売れていたのは小川だった。 神奈川・桐光学園時代に全国高校サッカー選手権でゴールを量産し、16年に鳴り物入りでJ1磐田に入団した。しかし、左ヒザ前十字靭帯断裂の大ケガもあって低迷し、19年夏にJ2水戸に期限付き移籍。翌年復帰した磐田でも不振は続き、22年には「磐田をお払い箱になって」(前出関係者)J2横浜FCに完全移籍。 ここで奮起して41試合.26得点の大暴れ。チームのJ1昇格の原動力となり、23年6月にオファーが届いたNECに移籍し、オランダを主戦場とすることになった。 生まれも育ちも横浜の長身イケメンのプロ選手としてモテモテ。サッカーにイマイチ身が入らなかった時期もあったようだが、エースFW候補だった21年東京五輪の代表メンバーに外れたことで尻に火が付き、その年の暮れに一般女性と結婚して落ち着いたこともプラスに働いた。 サッカーに専心する日々が続き、オランダでは中位クラブ所属ながら上位クラブ相手にもコンスタントにゴールを決め、欧州規格のストライカーとして評価されている。 そんな小川にも「コンプレックス」があった。 11月ラウンドの前まで「日本代表7試合7得点」の決定力の高い実力派FWとしてメディアにも紹介されたが、それがイヤでイヤでしょうがなかったという。 「19年12月の東アジアE-1選手権の香港戦で初代表を飾り、しかも3得点のハットトリックという華々しいデビューとなった。しかし、弱小国の香港相手の大量得点自体、大きな評価に値するとは言えないし、24年6月のW杯2次予選ミャンマー戦の2ゴールにしても、ミャンマーの実力を考えると小川自身、いくら<代表3試合5得点>と持ち上げられても喜べなかった、というわけです」(前出関係者) それでも上田不在のチャンスを生かし、インドネシア戦ではFWらしい動きで相手のオウンゴールを誘発。中国戦では得意のヘディングシュートで2得点を決めた。 本人も<上田の控え>を脱して<上田のライバル>に昇格した手応えを感じているだろう。 「前半39分の左CKからの強烈ヘディングシュートには驚かされた。走り込んで頭で合わせたのではなく、ほぼ立ったままの状態でグイっと体をひねりながらゴールにスドンと叩き込んだ。上田以上の武器であるヘディングシュートはマグレではない。持てる力を存分に発揮して1トップのレギュラー候補に躍り出たと言っていい」(元サッカーダイジェスト編集長・六川亨氏) 26年のW杯本大会に向けて「1トップ」争いが白熱しそうだ。 ◇ ◇ ◇ 中国撃破の裏で、久保建英の争奪戦が話題沸騰中だ。A・マドリードまで戦線に加わったと現地では報道されている。いったい移籍金の規模はどれほどのものなのか。いま、何が起きているのか。 ●関連記事【もっと読む】…では、それらについて詳しく報じている。