【人生最後の取材】中山美穂さんが見せた孤独感…子育てのためにパリで引退決意も慰留「当初は会えていた」「離れていった母と子の心」創業事務所社長が明かす数々の恋愛と結婚生活
「役者・中山美穂」の忘れられない作品
「美穂は勘がいい子だった」と、山中氏が改めて振り返る。 「美穂のデビュー当初は事務所にお金がなくて、演技や歌のレッスンを満足にさせることができませんでした。そんな中で『毎度おさわがせします』はぶっつけ本番で下着姿のシーンなど、よくやったなと思うし、よくやってくれたなと思いますよね。度胸がありましたよ。私の想像をはるかに超えて、凄いと思いました」 ほとんど素人だった少女は数年後、『君の瞳に恋してる!』(1989年)、『すてきな片想い』(1990年)、『逢いたい時にあなたはいない…』(1991年)などフジテレビの「月9」のヒロイン役を歴代最多となる7度も演じた。2025年1月9日には、同局で始まる香取慎吾主演のドラマ『日本一の最低男 ※私の家族はニセモノだった』で保育園の園長役として出演する予定だった。 「『どうしても美穂さんでお願いします』という香取慎吾さんの希望でオファーがあったようです。楽しみにしていたので、残念です。人気絶頂期は、自分が主役で出演する作品の主題歌を自ら歌い、あの頃は何をやってもうまくいくような時期でした。夢だった家も母親のために建てることができました。 美穂がどんどん大きくなって嬉しかった半面、私から離れていくような気持ちになり、寂しさもありました。血は繋がっていませんけど、父親が娘をお嫁に出すような思いに近いですね。いつのまにか会う機会や話す時間も減っていき、今の私の部屋には1年前に美穂と撮った笑顔の写真が飾ってあります。僕が照れてしまったけど、まさかそれが最後になるとは思いませんでした」
中山さんの出演作で山中氏が「忘れられない」と語るのが、中山さんが当時トレードマークだったロングヘアをショートにして臨んだ1995年に公開の映画『Love Letter』(岩井俊二監督)だった。 「美穂をキレイに撮ってもらって、1人2役を演じた彼女はブルーリボン賞など数々の主演女優賞を受賞しました。試写会で美穂と一緒に観たときに、彼女はとなりで泣いていました。感極まるものが彼女自身にあったんだと思います。『よかった』と声を掛けると、『ありがとうございます』と一言だけ。若い頃からあまりしゃべらない子で、どんなときでもどこか寂しさや孤独感を感じたことは何度もありました」
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