「孤高の天才」が味わっていた癖になる感覚とは?打撃職人の前田智徳さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(24)
▽野球の神様にお願いしたいこと 6年目の1995年に右アキレス腱を切り、病室で24歳の悲しい誕生日を迎えました。どれぐらい戻るのかは全く分かりませんでした。今考えると到底戻るものじゃないと分かりますけど、またプレーができるかなと希望はありました。打撃で抑えが効かなくなっていたのはショックでした。一番がっくりきたのはレフト方向ですね。逆方向に打球が飛ばなくなりました。右足親指の抑え、土をかむスパイクの中の親指の感触というのが、本当にどれだけやっても戻ってこなかったです。 車のタイヤでいえば、1本だけ大きさが違うタイヤがあるようなものです。ずっと走っていれば、けがをします。まさにそんな感じです。どのスポーツもそうですが、走るということは野球選手としてスペシャルに大事なことなので。2000年に左アキレス腱が3分の2ぐらい切れた時は、それを手術して次の年はもう辞めようと、ほぼ諦めました。でも、01年の終わりに、一応やるだけはやるという気持ちは残っていました。リハビリを死ぬ程やって、どれだけ自分がプレーできる体になるのか、興味があったんですよ。駄目なのは分かっていましたけど。
才能があっても、けがで辞められていった方、僕と同じ世代で対戦した人で早く引退せざるを得なかった方はたくさんいます。例えば巨人の吉村禎章さんやヤクルトの伊藤智仁さんとか。そういう方のことを考えると僕は長くできました。これからプロに入って来る選手には、目いっぱい練習に励んで、体を大事にしてもらいたいと思います。野球の神様がいるんであれば、けがなく全ての選手をやらせてあげたい。成功するかしないかは努力次第ですから、体の保証をしてあげてほしいなと思います。それで駄目なら納得するじゃないですか。 × × × 前田 智徳氏(まえだ・とものり)熊本工高からドラフト4位で1990年に広島入団。走攻守そろった外野手として頭角を現し、91年のセ・リーグ制覇に貢献。95年に右アキレス腱を断裂し、2000年に左アキレス腱も負傷したが、けがを克服して02年にカムバック賞。07年9月に2千安打に到達して名球会入り。13年に引退。通算2119安打。ベストナインとゴールデングラブ賞を各4度。71年6月14日生まれの52歳。熊本県出身。