「術後は腫れに悩まされて…」72歳で乳がんになった大学教授が語るシニアサバイバーのリアル
女性のかかるがん第1位の乳がん。罹患のピークは40代後半から閉経後の60代前半だが、70代でかかるケースも少なくない。日本赤十字広島看護大学の元教授である迫田綾子さんも、その一人。 【写真】迫田さん本人が描いた“乳がん手術直後の自分”
自分で気づいた左胸の小さなしこり
大学病院に長年勤務しながら2人の子育てに邁進。その後大学院にも進学し、70歳まで教授として活躍した。定年後、老後を楽しもうと思っていた矢先に72歳で乳がんが見つかった。人生のクライマックスで病に直面した迫田さんは、どんな選択をしたのか。 「コロナ禍の2020年9月。いつもどおり、朝目覚めて頭から首、胸とマッサージしていると左胸に小指の先ほどのしこりがあることに気づいたんです。すぐに、乳がんかも……という恐怖と漠然とした不安が胸をよぎりました」 その数年は、乳がん検診は受けずにセルフで触診を続けていた迫田さん。コロナ禍でダイエットに励んでいたこともあり、胸の脂肪が減ったことでしこりの発見につながった。 「地域で評判のいい乳腺クリニックを調べて予約し、1週間後には超音波検査とマンモグラフィー、さらに乳房内転移の可能性があるかもしれないと組織検査も受けました。左胸に長く太い針を刺されましたが、緊張のせいか痛みは感じなくて。でも検査結果がわかるまでは、“もしかしたらがんが2個あるかも”“リンパ節に転移していたら?”と不安で仕方なかったです」(迫田さん、以下同) 後日、乳腺の外までがんが広がる、浸潤性乳がんと告知を受けた。乳房内転移の確認には精密検査が必要だった。 「告知されたときは、ショックよりもいよいよ来たか、という気持ちでした。70代になると、背負ってきた家族や社会への責任がなくなり、自分の人生が中心になるんです。だからどこか冷静だったのかもしれません」
乳がんのおかげで命と向き合えた
手術を受けるため、事前に調べた近隣の大学病院を紹介してもらい、10月に転院。女性医師を希望し、誠実な主治医と巡り合った。 「精密検査でMRIとPET―CTを受けた結果、しこりは2~5センチ大。乳房内転移の疑いがあるが、リンパ節転移はなく左乳がんステージ2Aと判明しました。乳房の外に転移がなくてよかった!と本当に安心しましたね」 標準治療に基づいて、乳頭と乳輪を残す乳房温存手術と放射線治療を経て、抗がん剤またはホルモン療法を行うと説明を受けた。 「主治医と話すうち、医師に任せきりにせず、自分も病気や治療について学んで意思決定する必要があると感じました。それから乳がんのガイドラインや国立がんセンターのサイトなどでいろいろ学びました」 そして、がんの標準治療は“標準的な治療”ではなく、“日本における最善の治療”であること、日本は乳がんの治療研究が最も進んでいることなどを知り、安心して治療を受けようと思った。 「自分で学んだことで、きちんと納得した上で主治医が提案する治療に同意できたんです。おかげで前向きに治療を受けることができました」 手術までの2か月間は、がんが悪化しないか心配だったが、主治医から“進行が遅いタイプだから大丈夫”と説明を受けて安心した。 「終活が必要だと思い、身の回りの整理を済ませてエンディングノートも書きました。再発転移があれば緩和ケアで穏やかに過ごしたい、人工栄養や点滴は受けないなど、最後までどう生きたいかを考えて書きました。乳がんが自分の命と向き合う機会をくれたんですね」 また、長い看護師生活で、患者さんたちの落ち込んでも諦めずに歩み出す姿を間近で見て、人生と向き合う姿勢を学んだという。 「何が起きても自分の人生。患者さんたちのように覚悟を決めて逃げずに病と向き合う大切さを実感できました」